トップ鎌倉好き集まれ!もちださんトップ 第328号 


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もちださんの鎌倉リポート No.328(2019年2月23日)



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哲学堂



六賢台と四聖堂
 仏教はもともと東洋哲学として発展したものだ。しかし、鎌倉などの観光地で仏教思想にまで思い至ることは稀だ。そもそも哲学ってなんだろう。難しいことを研究しているようだが、そうした先生方が「役に立つ」意見を形成し、社会に還元できているのだろうか。ひとにぎりの「ジャーナリスト」が独演番組を展開し、壇蜜や橋本マナミが教えを垂れる一方、哲学科だの思想史だのを専攻している教授方の発信力・存在感はきわめて稀薄。一般庶民はつい最近まで、ヒトラーや毛沢東が社会主義者だともしらされず、「社会主義は最先端」だの「地上の楽園」だのと思い込まされ、うかうかとフィーバーしていた。・・・

 さて、東京の中野区と新宿区の境に、明治末から大正のはじめにかけてつくられた、「世界の哲学を体験できる公園」があるという。西武新宿線の新井薬師駅北側商店街を哲学堂通りといっていて、まっすぐ妙正寺川のほうに降りてその小橋をわたったところだ。



左はアッシジのフランチェスコ
 公園は川をはさんでほぼふたつのゾーンにわかれている。手前にあるのはハンガリー出身の在日彫刻家が祖国と日本との友好記念事業の一環として、近年両国につくった「哲学の庭」。古代エジプト王イクナートンや東ローマ皇帝ユスティニアヌスといった、よくわからない偉人の銅像が、思い思いのポーズでシュールにならんでいる。

 イクナートンは、あのツタンカーメンの異母兄(?)で王妃アンケセナーメンのお父さん。太陽信仰を断行して旧都テーベの近郊にあらたな理想郷をつくろうとした。ユスティニアヌスはゴート族を併合して、庶民の武器携行や売春婦を禁じるなど、理想政治をこころざした・・・でも、Wikipediaなしじゃ素人にはまったくわからない。たぶん役所の人間にもほとんど理解ができなかったらしく、工事用のトラ縞のバーや青いビニール‐コーンなんかで、無粋に群像を囲っていたりする。

 川向こうの段丘にあるのが明治時代の哲学学者・井上円了(1858-1919)が、大学退任ののち私財をなげうって運営した「哲学堂」のなごり。もちろんいまはいくつかの建物や展示物がなくなっていたりするのだけれど、哲学史の完全網羅というには程遠く、とくに井上が熱心に研究した幽霊・妖怪についてのコレクションがまざっていたりと、こちらもなぞだらけのエリアになっている。



四聖堂(涅槃像はのちに納められたもの)
 おもな建物は門・応接室・本堂・鐘楼・陳列室・講義堂・図書館などからなり、門(哲理門)には幽霊と天狗の像がすえてある。応接室は貧弱なふたつの和室が結んであり、最初の髑髏庵というところで訪問者はいったん死に、復活廊を経て次の部屋で生まれ変わるのだ、などと観念的に説明される。ばかばかしい、といってはそれまでだが、山伏の御籠り修行とか神話の冥界下りのたぐいを視覚的・体験的に説明したものなのだろう。

 本堂にあたる四聖堂はからっぽのあずま屋のようなもので、「絶対無限尊」などと書かれた標柱の真上に銀色ガラスの天蓋を張り、本尊のかわりに「光」として球灯をつるす。その四面に釈迦・孔子・カント(韓聖)・ソクラテス(瑣聖)を祭ることを示す額があり、毎年ひとりをえらんでそこを正面と定め、祭りを行ったようだ。

 鐘楼(六賢台)は灯台ににた朱塗りの狭小三階建てで、二階の棚には珍しい民俗資料の小物などがならべられていたようだが、いまは色褪せた写真パネルに代えられている。「鳩サブレだ」と騒ぐ子供の声につられて覗いてみると、石清水八幡で昔配っていた鳩御守の写真。三階ではかつて鐘が吊るされ「ガン/\を、三度続けて六ガン」鳴らすことになっていたようだがいまは外され、また「六賢」の肖像も実物は陳列室に移されている。これがまた五姓田某が描いたような、ヤニっ濃い明治の絵(下)だ。



六賢・三聖らの像・鳩・天狗
 陳列室(無尽蔵)・図書館(絶対城)などは現在からっぽで、新たに出土物やパネルなどが展示されているにすぎない。図書館は二階桟敷廊下の茣蓙の上で正座して読むようになっていたらしく、さいきん天窓付きの屋上バルコニーなども復元された。図書目録は国会図書館デジタルにあるが、「古史徴」などといった維新前の和漢の書が多かったようだ(蔵書は現在、白山の東洋大学に移されている)。

 哲学堂に肖像や碑文などで形象化された「哲人」をまとめてみると、
【日本】聖徳太子・菅原道真・平田篤胤・林羅山・凝然(東大寺の学僧)
【支那】黄帝・孔子・朱子・荘子
【印度】釈迦・龍樹・足目仙人(アクシャパータ、因明論の祖)・迦毘羅仙(バラモン教サーンキヤ学派の祖)
【西洋】タレス(ギリシャ哲学の祖)・ソクラテス・カント

 ちょっと見慣れない名もあるが、凝然(1240-1321)には仏教哲学大全みたいな著作があり、円了はそれを足がかりに縁起説や因明、六師外道など古代インドの哲学を学んでいったのだろう。平田篤胤には「神隠し」についてなどオカルト学の著書もおおく、これも妖怪研究への端緒となったらしい。



絶対城
 明治という時代の限界があったにせよ、古今東西の哲学宗教を一堂にあつめたというには、かなり趣味的で物足りないところもある。だいいち哲学者の数が足りない。江戸初期、石川丈山は「詩仙堂」に三十六人の詩聖の肖像をかかげたが、ここにはわずか16人。ルソー、デカルト、ヒューム、トマス、ムハンマド、アリストテレスなんていう有名どころもいないし、朱子・羅山なんかは江戸時代からすでに紹介し尽くされた思想家だ。

 「哲学の通俗化・実行化」(井上円了「哲学堂案内」1915)をめざしたというこの公園も、完成というには程遠い感じがする。上記のほか、林の中の単なる通路を「認識路」「経験坂」などとなづけたりするような、こじつけとしか言いようのない「名所」が計77々所あるらしい。上述「哲学の庭」になったぶぶんにも、かつては「星界洲」「半月台」などという名ばかりの空き地があった。稚気に富む愛すべき公園、という見方もある一方、明治文化人の知的限界を示す「半可通」的な、残念な印象もただよう。

 円了ののこした随筆類をみても、自身あまり突出した思想家といった感じはうけない。中江兆民(1847-1901)や吉野作造(1878-1933)といった同時代人にくらべたところで、忠君愛国といった、ごく平均的な明治文化人の範疇を出ない。日本を「貧国強兵」・清を「富国弱兵」などと位置づけ、貧困の克服には熱しやすく醒めやすい国民性の怠惰をいましめるなど、箸にも棒にもかからぬ教訓を垂れたりしている。円了は民衆を愛し、妖怪研究も民間思想によりそう意図があったようだが、「どんな迷信にも必ず理がある」ことを説く啓蒙哲学というよりは、これも民俗学として扱うべき領域だったろう。



六賢台内部からみた無尽蔵
 哲学堂のある場所はかつて和田山といって和田義盛の古城跡とつたえるが、さだかでない。記録にのこらない小さな領地ならばいくつあってもいいのだが、新宿の戸山和田とか、杉並の和田堀公園とか、類似の伝承にはことかかないのだ。

 戦前の思想家のなかには、宮澤賢治にも影響をあたえた田中智学が、各地に講演場をつくり鎌倉の師子王文庫を若者に開放するなど、熱心に活動する者も少なくなかった。しかし一日に数百万部を売り上げる大新聞の影響力にはけして及ぶべくもなかった。世論をリードする大新聞に似せておけばまちがいなく世間受けするのだし、それが良心にもとるウソであったとしても、「作家」としての収入は桁違いに増えるのだから。

 かつて第一回帝国議会選挙を期に、理想社会をもとめて観念の宇宙に彷徨する「星界想遊記」なんていう古典的な哲学小説を書いていた円了も、しだいに「軍人勅諭」なんかを解説する凡庸な教育者になっていった。夢に見た「共和社会」「女権社会」「経済万能社会」「科学万能社会」などにしても、何万年たたなければけして実現しない世界だ、とあきらめがちに書いた。円了は日露戦争について「支那朝鮮等幾億の生霊を、死地より救助する菩薩行」であり、人種的な「義務」だなどと述べている。すれば中韓は「心より日本を景慕し」「帰服する」。だが現実世界は、かつてかれが「想遊」したような、空想的理想社会とはぜんぜんちがう方向にむかっていった。


 新聞協会に君臨する大新聞は戦前、「定額制」などを打ち出して広告の少ないまじめな新聞を倒産におとしいれ、買収。対立する社には市民運動に擬態したユーゲント(あばれ屋)を派遣、日比谷焼き討ち事件などを引き起こした。ついには皇族の血を引く「進歩的文化人」を担ぎ上げて社会主義者をよろこばせ、うまうまと大政翼賛会を発足。人気首相広田・近衛の盟友を名乗る主筆は情報相(国務大臣兼内閣情報局総裁)を新設して就任、終戦直後までひきつづき留任し言論を独占、検閲による異論の摘発につとめた。

 この新聞が主宰した「聖戦博覧会」「亜細亜建設博覧会」などにより、反米思想が国策として定着。「アジアのために死ぬ理想の日本人像」を強要、「アジアは歓喜してゐる」などとし、拒むものは恥知らず・非国民だときめつけた。

 蛙は一匹が鳴くと全体が同調して鳴くという。集団心理は人間のぬぐいがたい本能だが、悪人がつけこむのはそこだ。文化人にとって、莫大な収入を保証するマスメディアは万能の王。王がそう仰せなら、鹿であってもそれは馬。・・・。そこには初源的・動物的な同調心理だけがあって、哲学なんかありはしないのだ。その新聞社はいまも購読者をとりこにし、戦争責任は「ぜんぶ軍部のせい」「軍部に迎合した国民のせい」「自分以外は右傾化」などと、責任のがれの反日キャンペーンをくりかえしている。まいど一部の文化人は、その虚報を裏付けるかのように、ごまをする。


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