トップ鎌倉好き集まれ!もちださんトップ 第329号 


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もちださんの鎌倉リポート No.329(2019年3月1日)



No.328
No.330



朱子学と廃仏毀釈・1



㋐ ちゃんとハローワーク、行ってるか!? ㋒ ・・・いや
 明治の廃仏運動は神仏分離令1868をきっかけに、末端の役人・教育者らが新政府にほめられようという功名心にかりたてられ、自主的に暴走した煽動・破壊行為としてしられる。廃仏はもともと幕府の官学であった朱子学者が主張しつづけたものであり、かれらは従来、忠孝思想を述べながら唐土崇拝(中華思想)が過ぎるとか、徳川家に諂い、自国や天皇を蔑ろにしているなどの批判もうけてきた。

 幕府崩壊後、立場をうしなった朱子学者らは、なんとかして新政府と思想的な折り合いをつけようともがいた結果、天皇崇拝の強い水戸学派や平田神道などを吸収し、過剰な国粋主義思想をアピールすることにより活路をひらこうとしていたと思われる。

 不幸にも【共通の敵(scapegoat)】として撰ばれたのが仏教なのだった。



㋐ もうすぐリストラされるんだぞ ! 俺たちは ! ! ㋒ てゆうか
○ 世々の漢学者ども、かの国(*唐土)の事どもを、知つていながら云はぬのか、また知らずして云はぬのか、悪き事をば秘め隠し、滅多無上に褒め上げる故、学問をする者もせぬ者も、みな悉く漢意漢人になり果てたる・・・。かの朱子がいわゆる「仏法渡りて以来、善悪の名、たがひ畢んぬ」と云へるごとく、儒道弘まりては真の道、却りて左道の如く成つたでござる。(平田篤胤述「西籍慨論」)

 漢学者にとって見れば、唐土と自分とは無意識のうちに一心同体であり、唐土の手柄は自分の手柄なのだから、唐や宋がどうして滅亡したのか、毛沢東は何億人殺したのかといったような「汚点」はもっぱら隠蔽し、日本の悪口ばかりをのべたてる。なにかを証明したいのではなく、自己顕示のためにひたすら他者を貶め、「原理」だの「正義」などという幻覚にとりすがって自慰に耽る。

 そうした風潮がすでに近世の論壇では目に余るまでになっていたのだろう。その「反省」から、維新以降の学界の過剰なまでの国粋思想を跡付けることができる。反日と愛国、両極端にみえる近代思潮の根はひとつ、儒学そのもののもつ、権力にも反権力にもなるアンビヴァレンツな性格にあった。文明開化のいっぽうで、ひたすら忠義・殉国をおもんじる国家神道の形成は、ひとり明治政府によるものではない。それは江戸初期にはじまる儒家神道(垂加神道)から羽化したものであり、漢学者の方針転換、いわば「幕府から官軍へ」の乗り換え戦術としてなされたのだ。



㋒ 俺もうルーブル行き決まったから ㋐ ・・・え !??
 朱子学の根本にあるのは「科挙制度」だろう。立身出世をゆめみる江戸の哲学者はこぞって仏典や神代史の虚妄をあばき、明治の廃仏は寺社による荘民支配を一掃した。迷信打破という点では、たしかに、一理あったにちがいない。だが、古いものを他罰的に排除しただけで、あたらしいものが自動的に生れてくるというものではない。

○ ・・・志一は今俗の所謂「飯綱使い」の類いなるべし。中古より「名僧」とて都鄙の尊ぶ所の僧は、十に七八は幻術を以つて人を欺く者なり。されば東照宮一統し給ひしより、聖人の道漸く世に行はれ、且つ僅かに奇怪の事は乍ち禁止せらるるに依つて、百余年来「名僧」と云ものなし。(鴇田忠良「相中記」1779)

 文中、「聖人の道」とはいうまでもなく朱子学のことだ。江戸初期にはキリシタンはいうに及ばず、日蓮宗・浄土宗などをはじめ、宗教観の違いからすでに寺社間の焼き討ちもすすみ、あらたな宗教的権威や思想秩序の再構築がもとめられていた。日本式に翻訳された中華主義というべき朱子学が幕府の官学として称揚されたのは、戦国時代のアナーキーな風潮に幕を引く、時代の要請もあったのだろう。ただ家康(東照宮)本人は巨費を投じておおくの寺社を復興しているから、仏教そのものの排斥を意図したわけではなかったはずだ。



八幡宮寺の社領だった鶯谷
 江戸前期、若き後光明天皇は「漢唐の説は粗浅なり。宋の程朱の説こそ理義精明にて至公至正を尽くし、万世の模範ならむ。自今以後、君臣皆必ず程朱の説に従ひ学問を励むべし」との詔をだしたという。だが、宋学の過激な「正義」にこりかたまった後醍醐天皇は朝廷を衰微させただけだったし、後陽成天皇は宮中のばかげた淫行スキャンダルにしつこく拘泥したあげく、処罰をめぐって江戸幕府の徹底介入をなんども要請。みずから朝廷のもつヘゲモニーを譲り渡してしまった。桃園天皇に仕えた竹内式部は「君に背く者あれば親兄弟たりといへども則ちこれを誅し」(奉公心得書)などと説いて摘発され、かえって多くの廷臣を巻き添えにした。

 江戸中期には大衆文化が栄えた反面、桃山時代のような豪勢な天守閣などが続々建つわけでもなく、太平の世の中に武家は、しだいに「正しさ」に自縛され、倹約生活をせまられていった。塩飢饉、薪飢饉、衣飢饉、金飢饉・・・また「豊作飢饉」といった前代未聞の悲劇も多発。これは米価高騰を期待した大衆商人による先物とか売り控えによっておこるもので、戦国にも桃山にもなかったことだ。

 儒学者・柴野栗山(1736-1807)は、讃岐の百姓の出といわれる。科挙の精神で幕府の儒官にまで登り詰めたシンデレラ物語とは裏腹に、学問のための学問に埋没し、思想弾圧「寛政異学の禁」を建議した。ものの役にもたたない理論・理屈に終始し、ただ恍惚として他人の揚げ足取りに心血を注ぐ。かんじんの経学すなわち「世直し」のようなことへの関心は、ほとんど皆無だったという。ひたすら議論の妨害や時間稼ぎにハッスルするこんにちの野党や一部活動家と同様、他者を否定すること以外、なんの能もなかったのだろう。



藤沢
 有史以来仏教や道教などと習合してきた神道を、「有史以前の太古の姿にかえすのだ」という謳い文句で登場した国家神道なるものは、あたかも古代史研究の成果のようにみえる。だが「有史以前」とはいったいどの時点をさすのだろう。また、そんな不完全な空想を根拠に「有史以後」の歴史や信仰をいともたやすく全否定していいものだろうか。

 「文人墨士の病として、古来用ひ来たれる字を妄(みだ)りに改め、私に好字を当つるをおのれ学才有りと思へる」(本間游清「多幸日記」1829)。たとえば近年、「伝・仁徳天皇陵」を否定して「大仙(大山)古墳」に改名しようという動きが加速している。しかし「大仙古墳」などという名称は古代にも、歴史上どの時代にも、けして存在したことのない創作上の呼び名でしかない。「国家神道」もおなじ。安易な空想によって補綴されたぶぶんには容易に自身の創作や近世のありふれた封建論理、忠孝や玉砕を機軸とする朱子学思想・儒教儀礼がはいりこんだ。

 いかんせん朱子学は中世以降の外来思想であって、日本のものでも古来のものでもなかった。思考と感情が未分化で、いまなお「強硬姿勢だ」などと、血の道の病にとりつかれている近隣国から来たものにすぎない。本居宣長は「鉗狂人」のはじめのほうに、「唐土にも唐土なりの神話やありのままの歴史伝承があったはずなのに、後世の儒学者が逐一否定し、都合よく訂正・改竄してしまった」と、その「漢意(からごころ)」を批判している。民俗学者・宣長からみれば、たぶん明治の国家神道などは【まったく本意ではなかった】はずだ。じっさいそれは儒家神道、すなわち神道に擬態した朱子学にすぎず、歴史的背景を遮断した「新たな創作物」でしかなかったのだから。


 明治の廃仏をめぐる地方官吏の細かなお触れが、「佐渡廃寺始末」という書にまとめられている。

○ 今日に於いて天下の遊民とも称すべきは日本の僧侶なり。国家の贅物とも評すべきものは多数の寺院なり。
○ この僧侶たるや多く無学無識、加ふるに遊惰安逸に流れ、唯だ愚民を誑惑勘材を事とし、粒々皆な農民の膏血に出でる米穀を袖手坐食するは一般僧侶の常なり。
○ 然れども千有余年我が国家に裨益を与へたる仏教なれば、悉くこれを廃するに忍びず、故に不用の寺院を減少し、無用の僧侶を淘汰せんと欲する朝旨なれば、当国の諸寺院も・・・本寺に纏まり・・・大寺へ一纏まりに相成るべし。

 ついには噂が噂をよび、「諸寺院を封印する為に官吏既に出張せり、もし住職に於いて故障を云ひ寺院を立ち退かざれば大砲にて焼き払ふと、佐渡全国誰れ云ふとなく騒ぎ出し、檀家は勿論近隣より手伝い人足を繰り出し、畳・建具を始め内陣の仏具までも取り片付け、すはと云はば本尊を供奉して立ち退かんと」徹夜の番をするありさまだったらしい。



横浜
 「廃寺始末」の著者は、廃仏運動を俗吏の圧制と非難しながらも、坊主が「とかく外形の装飾に汲々し、嘗て護法の精神を培養せず、ただ朝夕黄巻赤軸を暗誦し死者を追弔すれば僧侶の義務足れりと誤認し、一巻の経論は通解する能はざれども紫緋の法衣に錦繍の袈裟を耀かし、以て愚民の信仰を博せん事を期する者多し」ということは認めている。

 かつて、きりしたんを批判する書物にも、日本側の落ち度として腐敗僧の跋扈がさかんに云々されてきた。中国共産党によるこんにちの宗教弾圧にも、たぶん「一理あり」と同調する世論はあるのだろう。ただ末端の民衆にはみそも糞も同じ事で、明治期、地蔵の首をとれば博打に勝てるなどといった流言蜚語が全国各地のチンピラにまでひろがった。なまくら和尚を退治するついでに貴重な史跡や文化財はもちろん、思想信教の自由までも売り渡していった。

 おそらくはそれも教育者の煽動、ないし報道の影響なのだろう。それが政治的になにを意味するか、自覚に乏しいのはいまも同じだ。かつて主筆が情報相(国務大臣兼内閣情報局総裁)に君臨し、「高校野球」「聖戦博覧会」などたくみな洗脳イベントで肥え太った大手新聞は、いまも人気。自社の社説コラムを「世紀の名文」だなどとほめちぎり、一字一句写経させる特製の「教材」まで作成。「慰安婦報道」「韓日くん」「ニッポン視察団」・・・左から右から、あの手この手で自論を説き伏せようとする。戦時中あれだけナチスを賛仰し、宣伝相ゲッベルス(Paul Joseph Goebbels1897-1945)の手法を模倣したのだから、忘れるはずはない。かれらは自分では容易に手をくださず、他人をあおって「行わせる」。


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