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もちださんの鎌倉リポート No.344(2019年6月28日)



No.343



文学のまち


 「文学のまち」をテーマにする都市はすくなくない。文学館のある鎌倉もそのひとつであるが、小田急沿線にある町田市にも「町田市民文学館・ことばランド」がある。白洲正子さんの武相荘がある鶴川も町田だし、玉川学園には遠藤周作さんもお住まいだった。古文ファンなら小山田与清らのふるさとも町田。もちろん知らない文人も多い。ミニ展示や企画展、図録や翻刻の冊子なども売られている。

 ことばランドの入り口に立つ彫刻は遠藤さんの軽井沢の別荘に建っていたもの。チラシによれば、駅前の本屋「久美堂」にもよく立ち寄られたのだとか。遠藤マニアの人にとってはそんな逸話でさえもあこがれの的、なのかも。建物にはいくつか穴のような窓に色ガラスがはまっていて、そこだけちょっと幻想的。モダンでちょっとなつかしい、20世紀の未来建築のような面影がある。



本の妖精、というより折り畳み傘のお化け
 若者の本離れ、なんてことがよくいわれる。じっさいそうなのかもしれないが、むしろ新刊本が多すぎて、捜す時間・読む時間がない、なんてことも理由なのかも。でかい本屋だと逆に広すぎて目にはいらなかったり、検索しようにも検索語がわからなかったり。おなじ事はテレビ番組にもいえる。100チャンネルあったって、だれが一日100時間見られるだろうか。選択肢が増えれば増えるほど、チャンネルあたりの平均視聴率は落ちる。いくら煽ったところで、自転がとまり、人間の余暇がふえるわけではない。

 図書館では、人気の新刊本なんか10人待ちがザラだ。無料で持って行けるリサイクル文庫に、「香水瓶の写真集」とか「お笑い芸人・鉄拳ネタ集」とかいった、くそつまんない本をそっと置いても、あっというまに持ってゆくひとがいる。待ち時間のながい病院なんかのついでに、行きにちょっと借りて返しに寄ると、棚がほとんどかわっていたりする。

 たぶん本離れ、なんてことはないのかもしれない。きっと売り方をまちがっているのだろう。ほしい本が「本屋にない」、あるいは「いい本は高すぎる」、「まいど同じ、ありふれた、二番煎じの、つまらない本ばかり売りつけようとしている」だけなのかもしれない。


 そもそも売ってない本は古書店で買うか図書館に行くしかないのだし、また、これまで大学図書館などで無駄に秘蔵されてきた貴重な古文書なども公開されつつあり、わたくし事ながら、新刊書よりそっちのほうがずっと面白い。漱石だのシェークスピアだのと学校で教えておきながら、いまどきの本屋で、どうやって買うことができるのか。二流作家が「著作権延長」を声高に主張しているが、いくら過去の名作を絶版の檻につないだところで、現役作家の売り上げが目に見えて伸びるとは思えない。だれも読まないかれの「作品」なんかより、素人が書いたWebのほうがはるかに面白いし、役にも立つのだから。

 先月初め、ひさしぶりに町田をあるいてみると、久美堂こそもとのままあったものの、ヴィレッジ‐ヴァンガードがなくなったか・・・と思ったら駅ビルの高層階に移転しただけのようだ。しかし、知る人ぞ知る名物古書店「高原書店」はというと、・・・まるでドラマなんかにみる倒産物件さながらに、みごとなまでに荒廃していた。令和早々に経営破綻したらしく、よほど突然だったのか、店のHPは、まだもとのままのようだ。

 高原書店は先代店主の信念のもと、一定期間売れない古書はすべて100円棚に投げ売りすることでしられた。つまり店員はバイトでもつとまるし、客としては希少な掘り出し物や全集本、けっこうきれいな新古本を小銭でゲットできるしくみ。生前の遠藤さんら、文学者にもファンがおおかったとか。


 近年はオンデマンドなどで確実に手に入る復刻本がふえたことや、BookOff、図書館の予約検索等の充実なども、古本ばなれに拍車をかけたのだろう。あるいはネット転売めあてで大量購入する「瀬取り」の被害もあったのかもしれない。また「左翼運動の退潮」により、無能・無気力な野党議員以外に、もはやかれらの希望の星がみいだせず、組合教員らその筋のひとびとの「学習」意欲が著しく減退したのかも・・・。まあいろいろ理由をさぐってみたところで、詮のないことだ。

 雑誌のバックナンバーなどではよく鉛筆書きの「学習」の痕跡があるのも面白かった。たとえば「コムデギャルソン論争」として話題になった吉本隆明と埴谷雄高の論争。岩波朝日の偏向報道やスターリン主義を批判する吉本にたいし、ソ連革命を絶対視する埴谷が反発。「吉本はブランド服の広告大使」「家にシャンデリアがある」などと人格否定の揚げ足取りに固執してゆく。そこにいちいち傍線をひいて「良い!」などと、トンチンカンな感想が走り書きしてあったりするのだ。

 むかしの建売り文化住宅につきものだった粗末なシャンデリアがある、それだけで他人を右翼視し、あたかも犯罪者であるかのように決め付ける。もともと学生運動レベルの知性とは、そんなものだったようだ。



毀された看板・散乱するポップ・・・
 市民運動がきちんとした理由もなく、マスコミがあおる「流行り事」に終始するなら、その変質もまたジャーナリズムの質の低下をあらわしているのかも。いみもなく「韓国系タクシー会社が今、大人気」「○○式タピオカが原宿で大ブーム」だなどと、メディアは唐突に騒ぎ立て、火のないところに煙をたてる。いったい「流行」とは誰をだまし、誰を利するためなのか。ヤクザの資金源、なんていう説もある。

 タピオカの原料キャッサバ芋は毒性があり、野生動物が食べないのでおもに未開部族がアク抜きをして食べ、日本では食品ではなく、主に糊の原料とされてきた。台湾では古来東南アジアに自生するサグヤシ原料のでんぷんを用いた食べ物で、江戸時代には「さんご(西穀)米」として好事家にしられた。これがより安価なキャッサバでんぷんに替ったのが今日のタピオカ。台湾では下町屋台で、ブリキの柄杓でくんで売られてきたもので、とくに高級でも最新でもない。

 だが地方の若者にとっては、かつて第二の山谷といわれた新宿百人町の職安通りも、テレビが「最新コリアンタウン」といえばオシャレに見え、バッタ物の「高級」ドリンクも「インスタ映え」する高価な最先端フードに感じられるのだろう。ちなみに高級和菓子として知られる日本のわらび餅も、「本わらび粉」だと大トロ並みの値段になるらしい。コンビニやスーパーなどでみかける一般的なものは、主にタピオカ粉からできている。


 ブームに躍らされるのは、もちろん年端もいかない女子供ばかりとはかぎらない。大手メディアの軽はずみな報道に乗せられ、拉致はなかっただの、強制連行をこの目でみた、だのとうそをついた文化人の、なんと多かったことか。逆らう者は村八分、互いに共感するものだけの仲良しクラブ。善悪の基準はフィーリング、「なんとなく、進歩的」な、その場の空気「あげぽよ」。いい年をして、とても大人の判断力とはいいがたい。

 しかし地方の若者にとっては、都会の巨大メディアの宣伝が、絶大な影響力をもつことは否めない。東大や京大の未熟な若者が、尊敬する人物にテレビの「クイズ王」を挙げているというのも、あるいみ納得できるような気がする。自分で作った設問に自分で答えて、盆と正月が同時にきたかのような得意顔。・・・これで一生食えるなら、たしかに楽な生きざまだ。

 むろん、テレビや新聞の中だけが世界ではない。人気のクイズ番組にしても、そう長くは続かない。いちど覚え込んだことを答えるだけの「知性」なら、犬やチンパンジーだって正しいカードを引くだろう。いちいちそんなことで天才チワワだの天才東大生だのとうぬぼれ、学歴を鼻にかける滑稽な言動がバラエティ番組のいい見世物となり、無責任な大人たちの恰好の食いものとなっている。ばかげた教育虐待の見本のようなもので、気の毒でとてもみていられない。



(横浜市立中央図書館)
 鎌倉にも文学館があり、鎌倉文士なんて言葉もある。書物は、ただ「書かれたもの」ではなく、「読まれるもの」。まず読まれなければいみがないし、誤って読まれることもある。戦時、情報局総裁に君臨した大手新聞は未曾有の400万部に到達した。書き手が間違うこともあれば、読み手もまた間違える。「みずからの正しさ」や「他人と同じであること」に狂喜して、批判や客観性をみうしなう。じぶんとって、ほんとうは損になることでも、うかつに賛成しているのかもしれない。

 無数の書物をよみつくす時間なんか、たぶん誰ももってはいない。だがそれぞれが「別の書物」をよむのだとすれば、書物は多ければ多いほどいい。本屋や図書館になければ近隣都市の提携館や県立その他を探す手も。私たち個人の知識なんて、ごくわずかだ。

 わたしたちにとって、健忘された記憶もあれば、ときにはつまらない知識や娯楽・エロ本なんかで埋められてしまうこともあるだろう。図書館や本屋は、いわば頭脳のようなもの。安易に捨てていい書物なんてないし、いわんや誰かの身勝手な「正義」によって選別されたり、都合よく隠されてしまっていいはずもない。それは市民ひとりひとりの知性なのだから。


No.343