トップ鎌倉好き集まれ!もちださんトップ 第345号 


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もちださんの鎌倉リポート No.345(2019年8月10日)



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公園について



よりとも児童遊園
 ちっちゃいころの記憶をさかのぼっていくと、必ず思い浮かぶのは児童公園の遊具だ。何十年かぶりに通りかかってみると、いがいにそのまま残っていたりもする。ブランコやジャングルジム・砂場などといったありふれたものはともかく、都会の公園には不思議な山のようなものや迷路・トンネル・現代彫刻のようなものまで、けっこうシュールな光景がひろがっていた。

 公園遊具は昭和レトロでもあり、新設の公園では「管理責任をとりたくないため」しだいに姿を消しつつあるように思われる。室内遊園地やショッピング‐センターの託児コーナーにはプラスチック製のものがおかれ、親や大人の管理下でより安全に遊ばせるようになっているのかもしれない。ただ、それだと風や雨や蟻やタンポポや蝉、「ひみつきち」的な感覚はなくなってしまう。


 私が住んでいた世田谷区のばあい、世田谷公園にはD51がおいてあったり、そのすぐちかくの「せせらぎ公園」では人工の川が流され、空中歩道があり、あるいは鉄筋づくりの四階建て迷路のようなものがあった。凧揚げは駒沢公園。薄い半紙に赤で龍とかかれた使い捨ての安いやつが、売店で売っていた。

 小学生になり、自転車に乗れるようになると、ほかにも丸太やロープをつかったアスレチック型の公園や無料の児童館・福祉会館などを誰かがみつけだしては遠くまで探検するようになり、高層アパートの屋上にあがってみたり。やがて有料プールやマクドナルドなどに出入りしたり、渋谷あたりにも足を伸ばして、いつしか近所の公園なんか忘れてしまった。でも渋谷の児童館がなくなり、遊園地や商店街なんかもつぶれたり様変わりしてしまった今、むかしのままのこっているのは公園くらいだ。人気番組「モヤモヤさまぁ〜ず」で三村さんがときどき故郷の下町でブランコに乗ってあそんだりしているけど、そういう思い出というのは、歳をとっても忘れないものらしい。

 子細に見ると、右の公園(世田谷区野沢)でも写真中央にあった雲梯状の遊具などが消えている。あたらしいものに置き換わったのならともかく、アイテムがひとつ減ってしまったのだ。やがてじいさんがすわるベンチと躑躅の刈り込みだけの殺風景な公園になってしまえば、魅力はさらにうすれてゆく。子供の公園離れもとうぜんのことなのかも。



なんかのアニメの聖地になっている模様(三軒茶屋)
 都市部における身近な緑といえばこうした小さな児童公園くらいで、寺などは和尚が私物化してコンクリを敷いてしまったり、鉄のゲートをとざして「墓地購入者以外は立ち入り禁止」だったり。こどもが登って石燈籠がたおれ大怪我などしたら、たしかに問題だけれど。都市部では人目が届き、なおかつ不審な大人が入りこまない「安全な空間」を確保するのは、意外とむずかしいものらしい。この公園のとなりにある外科医院には世話になったが、怪我をしたのは学校の教室で、公園ではない。学校側は隠蔽のため日付の改ざんを要請したが、医師に断わられたという。

 世田谷の三軒茶屋あたりは下町風情が人気だとか。有名人でいえば、さんまさんは大阪、金八先生の武田鉄矢さんは博多に土着していると思われがちだが、(ざっくりいえば)みなこのへんにうつり住み、ずっと暮らしてきた。さいきんはおしゃれな店もふえ、多数の芸能人が徘徊する飲み屋街としても知られてきた。その一方で高層ビルや高級アパートが林立し、魅力だった元々の「下町風情」にも変化がみえつつある。金魚の釣り堀がなくなってしまったり、閑散とした公園をみれば、住民層の変化もなんとなくうかがえるのだ。

 日本の庭園のおおくは狭小な坪庭の影響からか、舞台の書割のようにただ遠巻きに眺めるだけになってしまった。しかしもともとは「回遊式庭園」として飛石のあいだをあるきまわり、花を近くでみたり香りをたのしんだりできた。歩きまわれるにしても、いまは草木などの整備が追いつかず、パンフレット写真に載せた正面以外は荒廃し殺風景になっている所も少なくない。有栖川公園(旧南部藩邸)などのように、時々フラミンゴを放つなどして見所不足をおぎなっているところもある。そこは間宮永好(1805-1872)が庭園拝見記「春の山踏」を書きのこしている。


 公園には住民のニーズが反映されるべきだ。「よこはま市民の森」のような場所はやたらと数こそ多いが、やはりこどもや女性が一人では怖すぎるという声もある。通り魔事件などのうわさは絶えないし、鎌倉の霊山公園は大正震災で荒廃後、自殺の名所となったとか。希少な中世の城跡が見やすく整備された茅ヶ崎城趾公園(横浜市)は、なにがいけなかったのか、その後あっというまに荒廃し、元のジャングルに帰ろうとしている。

 近年できた横浜市の里山ガーデン(春秋限定)では、園芸種の草花をあえて分類せずに混ぜ植えにしていて、万華鏡の色ビーズのように混ざり方が変化するので、近くで見ようとすればいつのまにか一周してしまう。若者にとってはインスタ映えも重要。気に入った構図をみつけては、しゃがんだり這ったりしてカメラに収めるひとがめだった。従来の【毒々しく色分けした植え方】より、イングリッシュ‐ガーデンふうの淡い彩りの自然感も、日本人の好みに合っているのかもしれない。芝生ひろばも子供づれに人気。こちらは成功例といえるだろう。

 むだに高価な植物を植えたところで、学芸員の自己満足では運営はなりたたない。人が近付いたり匂いを嗅がれたりするのがいやなら、自分の庭にうえるがいい。一見ありふれたリーズナブルな草花であっても、植え方しだいではみごとな庭はつくれるのだ。


 里山ガーデンについては一部活動家が、「貴重な自然を破壊してまで公園にする必要があるのか」などと、web上で的外れな批判をしているようだ。そもそも大花壇のある所は元々畑だったので破壊などという事実はない。また「里山」じたい人工物なので「自然」ではない。

 里山とはもともと近在の農家が薪をとったり、ミツマタとか藤蔓とかカタクリなどという各種有用な植物を無数に植えるなどして歴史的に形成されたもの。戦後は生活習慣の変化で多様な植物群もしだいに不要になり、「雑木林」扱いに。復興期の木材需要をあてこんで一斉に植え替えた単純な杉系の営林でさえも、いまは安価な外材に押されて間伐もされずに放置、いまや「緑の砂漠」とよばれ、ひどく荒廃している状況。ほんらいの豊かな「里山」に帰すつもりなら、むしろ不断に手を入れる必要があるのだ。

 ただ、都市部では林業・農業に従事するひとびとは確実にへっている。いぜん人気バラエティ番組で昔ながらの農村のくらしを指導した、三瓶明雄さんのような豊富な知識をもつ経験者も数すくなくなっている。ちょっとしたワークショップ(体験講座)で炭を焼いたりするていどで、里山の多彩な生態系をつくりなおすことは、まず不可能。蛍や蜻蛉のためのビオトープを整備したり多様な花木を増やすほうが、まだ気が利いている。



「食用蛙の養殖研究」1927より(国会図書館DC)
 生態系といえば、鎌倉食用蛙養殖場(岩瀬)から逃げ出したアメリカザリガニが全国各地にひろがったことは、定説のようになっている。戦前、食用蛙(ミシシッピー産アメリカウシガエル)の養殖場は各地にあったが、生き餌をつかまえたり、いちいち蛆虫をあたえるよりは、勝手に殖えるザリガニの幼生を食ってくれるほうが楽。たぶん地方の養殖場も、ひそかにまねたのではないか。

 食用蛙は戦前、西洋人むけの缶詰などの需要をみこんだものだが、日本ではまったくはやらなかった。調理法はソテーなどの洋食、中華のほか、「さしみ」などのチャレンジメニューもあったものの、戦中戦後の絶望的な食糧難においてすら、まったく定着しなかった。アメリカザリガニも海外では食用なのだが、こんにちまで両者は「外来種」として、ほとんど害虫扱いされてきたのだ。グルメとは大食漢・いかもの喰いのニュアンスもあるから、日本にはグルメはいなかったことになる。

 在来種であっても、人間が保護しすぎた結果殖えすぎたエゾ鹿のように、深刻な植生破壊を引き起こした例もある。手塚治虫が「シュマリ」に描いたような鹿だらけの楽園は、幻想にすぎなかったのだ。・・・食用蛙養殖場の跡地は現在、殺風景な公園になっている。遊具はありふれたプラスチックの滑り台ていど。人を呼ぶというよりは文字通りの「防災公園」、災害時に人を避難させるための必要最低限の空き地、といったいちづけだ。



GoogleMapより
 公園には禁止事項もおおい。こどもが家の狭いガレージでリフティングなどしているのをみると、なんかあわれ。少年サッカークラブにはいったとしても、たぶん心ない大人によって、好悪・成績順に秩序分けされてしまう。わが家の前の坂でスパルタ式に特訓している親子を見たけれど、あれもどうかと思う。

 遊具は危険、などというのも一理はあるのだろう。しかし人間の悪意以上に危険なものはあるだろうか。かつてマスコミは「いまの若者は正社員よりフリーターを求めている」などと虚偽の報道キャンペーンを繰り広げ、ブラック企業の雇い止めに拍車をかけた。「たいした怪我でもなく救急車を呼んだら即処罰」というメディア‐クライムでは、実際に東北地方の若者が119番のじじいにすげなく出動を断わられ、なくなった。

 「住宅地に保育園はうるさい」なんてキャンペーンもある。そのような中高年は、いったい何を恨み、将来だれから年金をもらうつもりだろう(→払った分はとっくに消えている)。挙句の果てに「高齢ドライバー追放運動」がはじまり世論はしだいに姨捨山への道をひらいてゆく。憎まれ者はなかなか楽には死ねないものらしい。


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