トップ鎌倉好き集まれ!もちださんトップ 第346号 


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もちださんの鎌倉リポート No.346(2019年8月18日)



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仁王のいろいろ



本覚寺
 本覚寺の仁王はなにか変に荒れている。鳩に糞をかけられたり、辛い人生を送ってきたようだ。江戸時代の庶民は願い事を書いた紙を噛んで唾でぬらし、仁王めがけてプッと吹き付けた。仁王にくっつくと願いが叶うという迷信があったらしく、受難の時代がつづいた。

 じつはこれでもつい先年に解体修理が済んだばかり。天衣などを補修し、後世の稚拙な彩色や修復部分をとったらしいのだが、もともとボロボロだったせいかさほど印象はかわらない。青黒くみえるのはたぶん下地漆の色で、木地もだいぶ透けている。いぜんは多少赤塗りの痕跡がのこっていたが、江戸初期とみられる作製当初も基本色は赤だったようだ。下は全身赤コーデの人。



チャームポイントは金のリボン(川崎・王禅寺)
 仁王像の多くは柵や格子、亀甲金網に保護されるなどして写真愛好家を悩ましている。口径のおおきいレンズだと金網がうつってしまうし、コンパクト‐カメラを格子に差し入れると、今度は「引き」で撮ることができない。「カスミ網」ではだめなのか(・・・そういえば昔、イチゴ畑で何羽かの雀がお亡くなりになってしまった・・・)。この像もがっちり囲まれているのだが、異常なくらい埃がたまっている。

 仁王は半裸の門番として知られるが、その本来の姿も正体も定かには知られていない。仏説では「大宝積経」に密迹という力士が金剛杵をもって釈迦を守っているとするが、二人とは書いていない。聖書にはあいまいな記述しかない「東方の三博士」のようなものだ。

 仁王の異名である執金剛神・金剛力士(ヴァジュラダラ)は金剛杵を持つ者の意味にすぎず、那羅延天はヒンドゥー教の最高神のひとつ・ヴィシュヌの異名(ナーラーヤナ)が利用されただけ。執金剛神が修験道の神と習合し吉野などで本尊・金剛蔵王となったのはむしろ派生的な神格と思われる。また千手観音の眷属・28部衆にも参加、阿修羅や弁天などとともに数えられるなど、コラボ活動にもいそがしい。 



杉本観音
 羽衣ふうの天衣などは中華風天人の意匠にちかい。こんなでかいのが優雅に空を飛んでいるとしたら不気味だが、杉本観音の仁王(左)の腰布はカラフルで、なかなかのオシャレさんでもある。髷のリボンが金色だったり(上)、胸飾りなどをつけた者(写真6)も。ただ金のニップレスだけはいただけない。マラソン選手などならシャツがこすれて気になる人もいるのかもしれないが、力士だろ。

 「香川真司、疑惑の黒いブラジャー」ってちょっとまえに話題になったけれど、あれは筋肉の矯正サポーターで、似て非なるもの。GPSなんかを付けて戦術練習にも使用するらしい。それに濃い色のインナーは乳首がワイシャツに透けないという利点もある。

 めざましテレビの調べによれば、男子の乳首ぽっちんは圧倒的に女子受けしないとされており、それでニップレス男子なる者もいるらしいのだが、それは服の下にするもので、わざわざむきだしに見せ、あろうことか釘隠しの花金具のように立体化までして、ぽっちんを強調してどうする。



海老名・龍峰寺(1751)
 人力車夫みたいな細マッチョなら恰好がつくが、太鼓腹のものも多い。天龍源一郎・長州・マサ斉藤・橋本真也、緑色の毒霧を吐くというザ・グレートカブキのたぐいは、男子には人気があっても、「仁王女子」を生み出すのはむずかしいかも。赤い色も、あんまり赤すぎるとお笑い番組の「体モノマネ」を想起してしまう。

 以前東北地方のまつり、「黒石寺蘇民祭」といういわゆる裸祭りのポスターが、「強姦魔を想起させる」「PTSDを発症する」などとして訴えられ、物議をかもしたことがあった。しかし実際にお縄になった犯人のおおくは、しょぼくれたオタクふうの高校教員だったり、マスコミに多くの「人材」を輩出する某大学の軟派サークル部員だったりしており、プロレスラーやラグビー選手レベルのマッチョな人はあまり見かけない。人や仏を、見た目で判断してはいけない、と思う。

 いぜんあるアスリートにお聞きしたところ、もともと「男子校で校舎は山の中で、とても女子に騒がれるような環境じゃなかった」とか。でも帰りに迎えに来た彼女は「超美人」。漫画「俺物語‼」みたいな展開もあるんだから、がんばれ仁王。



高安寺(府中市)
 近代の仁王像には話題づくりに「アントニオ猪木を象った」ものもあるらしいが、天然のものもなかなか面白い。これなんかは、あきらかにショックをうけているおじさん。応援しているチームが土壇場で打たれて、テレビの前で固まっているじいさんが、こんな顔だ。

 紀元1-2世紀、仏像がはじめてつくられた北インドからガンダーラ地方では、ギリシャ文字のコインが用いられるなど、ヘレナ(ギリシャ)文化が色濃くのこっていた。仁王のルーツとされるヴァジュラダラはまず、全裸で棍棒をもち、ライオンを担ぐなどしたギリシャの怪力神・ヘラクレスそのものの姿として習合。やがてギリシャ風彫像としての技法がくずれ、現地でもはやくにゴリラ体型になってしまうなど、変転を経た。トルキスタン(いわゆる西域)から唐土では、甲冑姿の兵士・または腰布に天衣をまとった天人となり、左右二体に分裂するなどした。

 日本最古の奈良長谷寺・銅板法華説相図や法隆寺に伝わるものは今とおなじ半裸だが、東大寺三月堂内部のものは鎧を着ており、バサラふうの怒髪に髭面の特異な例。髭は原型のヘラクレスにもあったから、西域や天竺からの情報がコマ切れにつたわってきたのかも。ほかにも執金剛神とか金剛蔵王に分かれたものは、片足を高く踏みあげたり、牙をむきだし、一具三身・三面三眼・全身青色の異形になったりもした。これは五大明王とか九曜系の星の神、すなわち山伏の信仰と習合していったもののようだ。



アトラス‐クロック(新宿)・宗保院(町田市)
 右はNY五番街の名所・・・じゃなくて日本のティファニーにある、有名なアトラス像。ギリシア神話ではヘラクレスと並ぶ大力の持ち主で、天空をささえる者とされた。しかし「写実的な彫刻」がどこまで超人的な神性を表現できるかというと、おぼつかない。ギリシャ彫刻はみんな裸でマッチョだから、アトラスにしてもヘラクレスにしても、その他大勢に埋没してしまうおそれがある。

 アトラスはヘラクレスにだまされ、重い「天空」を永久に持ちつづけることになるのだが、そんな悲哀やペーソスを芸術表現に盛り込んでしまったがために、かえって弱弱しい印象を強めることになってしまったようだ。

 なんにせよ正統派の彫刻にくらべれば、日本の仁王のド迫力はきわだっており、右はたぶん近代の作だが、腹は16個に割れている。女子受けする「イケメン‐ゴリラ」というのもいるくらいだから、これはありかも。これに較べたらかのアトラスさえ、廊下にたたされた哀れなカツオ(サザエさん)。



やりすぎの筋肉(松蔭寺・日向薬師)
 もちろん、やりすぎの例もある。筋肉なのか痩せているのかよくわからない肋骨状のシワが、胸に深く刻まれている。肋骨の下部には卵のパックのようなものが。卵胎性の魚(シーラカンス)じゃないんだから。よくみればかなりのメタボ体型で、アンコ型の腹に出ベソの人まで。デフォルメのしかたは踏襲したものの、その塩梅がどこかで狂ってしまったようだ。

 鎌倉時代の早い時期につくられた慶派の仁王が、関東でも確認されている。しかしいくら紙の上の指図があったとしても、それを立体に彫るのは仏師なのだから、長い年月のうちにズレが少しづつ蓄積して、大げさに伝わってしまうこともあるだろう。

 日向薬師のものは鎌倉仏師・後藤真慶の作1833らしい。以前紹介した東京碑文谷円融寺の「黒仁王」(レポ215参照)もかなりゴリゴリの作だが、扇谷住・権大僧都大蔵法眼作1559。極限まで緊張感を強調した結果、どこか引きつったような不自然なプロポーションになった。これはもはや写実とか解剖学とかいう型にはまった尺度ではなく、奇想とか前衛とかいう視点から理解しなおすべきなのかもしれない。


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