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もちださんの鎌倉リポート No.353(2019年10月31日)



No.352



蘇利古


 蘇利古(そりこ)は中世よりつたわる「舞楽」の曲のなまえ。というよりこの顔、アニメ「千と千尋」にでてきたものと似ているし、昔の追儺(鬼やらい)につかわれた「方相氏」の紙面にも似ている。あるいは顔にお札を貼られたキョンシー(台湾版ゾンビ)にもにているような。

 「千と千尋」にでてきたのは春日さま、という名だそうで、これは旅館などでご祝儀(チップ)をなかなか「暮れない」春の日にひっかけた、けちな客をよぶ仲居さんの隠語。それをなぜ蘇利古の雑面(ぞうめん)そっくりにデザインしたのかは不明。雑面は蔵面とも書き、顔をかくすといういみもある。身分のひくい舞人が公の場・神事の場にでるときは息をかけないよう、顔をかくすというしきたりがあったのかも。


 蘇利古という言葉は、舞人の取り物である白楚(ずわえ・ずばい)の異名であるという。「ずはえ」とは本来、しなやかな枝でつくって罪人を打つ「鞭」のことだから、ここはお先払いの鞭であり、やはり「悪霊祓い」に関係するのかも。この曲は専ら四天王寺で催される聖徳太子をまつる秘儀の「はじめ」に舞われたものなので、「先払い」の要素はいなめない。「先払い」はふつう「清目」「奴(やっこ)」の役割。一説に竈祭の舞といわれる一方で、応神天皇のころ酒作りの帰化人・須々許理が舞ったともいうが、酒作りにつかう日本の麹と大陸のクモノス菌とは、全くの別物。ただ「そりこ」と「すすごり」の語呂がにていただけなのかもしれない。

 雑面は右方「蘇利古」のつがい舞である左方林邑楽「安摩」でももちいる。林邑楽とは奈良時代、林邑(ベトナム)出身の楽人・仏哲がつたえた唐楽のことだから、唐周辺のどこかがルーツとする説もあり、もとは壱越調の原型・沙陀調の曲であるからインドの女神だともいう。いずれにせよ平安前期の楽人・大戸清上がいったん改作したと伝えるから、必ずしも原型のままではないようだ。

 「安摩」はその題名から能の「海人」と混同され、龍宮に玉をとりに行く舞であるという説も生じた。このばあい雑面は龍女が好む雀に変装した姿だなどと説明されている。しかし雑面のデザインにはだんご鼻も描かれ、とても雀にはみえない。



巻纓老懸の冠・諸肩袒(もろかたぬぎ)の襲(かさね)装束
 その「安摩」でもちいる曲は4部からなるが、ほぼ笛と打ち物の乱声か無伴奏からなっており、曲らしさはない。「蘇利古」でも独自の曲がなく「狛鉾」のメロディを借りており、無音で退場する。雑面のデザインには小異があるものの、つがい舞であることはあきらかだろう。

 「安摩」には通常、ことわざでも知られる「二の舞」がつくが、これは神楽能でいうところの翁、猿田彦と三番叟(黒面・醜面)にあたり、滑稽に「二の舞を踏む」のは「もどき」とよばれる道化役の爺婆だ。面もどこか能面や琉球のアンガマを思わせる。これでは厳粛な宮中舞楽というより、あまりにも神楽っぽいから、「二の舞」の代りとして「蘇利古」が創作されたのかもしれない。あるいは儀式の性格によって使い分けたのだろう。

 「蘇利古」で転用する「狛鉾(返し付)」のメロディは夜多羅拍子(5拍子)。「抜頭」と似ておなじ旋律と振りつけを四方に向けてくりかえす、ボレロ風の小曲。前奏(意拍子)とその一曲のみの構成ながら、明瞭なメロディがあるぶん中曲「安摩」とのバランスがとれているのだろう。高麗壱越調というのは、右方雅楽では龍笛(左方・唐笛)とは指穴のポジションが違うちいさな中管(右方・高麗笛)をつかうしきたりのため、便宜上、元の壱越調の基音が平調にずれただけで、高麗(*こま。「渤海国」の通称)や、高麗楽の成立よりずっと後に建国し元寇でしられる王氏高麗国(*こうらい)とは、とくに関係がない。



伎楽面(東博)。舞楽にフルフェイスの面はない
 面のゆらいはふるく、縄文時代から土面がつくられていた。有名なニューギニアのマッドメンは全身を灰白色の土でぬり、先祖の聖霊に扮する。沖縄のアンガマはニライ‐カナイからくる爺婆だし、ナマハゲなどの来訪神ももともとは先祖。サンタの原型のひとつで、スイスなんかにある年越しのナマハゲはお菓子をくれるが、ケルト由来のハロウィンも、元は子供が扮するお化けにではなく精霊に供物を供えたのだろう。それはキリスト教以前、冬至や夏至に必ずやってきた、やさしいご先祖様たちの霊魂なのだから。

 弥生時代にはごく一部に変形頭蓋が出土している。台湾・弁韓など特異な民族風習をもつ渡来部族ではないかとされ、板や面のようなもので長期にわたりきつく縛り付けられた形跡であるという。まるで「肉付き面」の説話を彷彿とさせるが、一説に脳や容貌に変形をくわえ異界と交信する巫師を養成するためだともいわれる。

 追儺(鬼やらい)につかわれた「方相氏」の面は四つ目をしていて、疫病をさける祭りとして唐土の記録にみえる。もともとは周礼にみえる呪師の官名とされ、面もほんらい饕餮(とうてつ)文などの怪物をあらわしたもので、これはあらゆる魔を貪欲にのみこむものとして鼎(古代のなべ)の模様などとして使われてきた。ようするに煮ればたいていのばい菌(病魔)は死滅するから、模様の効力というよりはむしろ火や鼎に魔よけの効能があるとされたのであろう。



下襲のうえには半臂(チョッキ)を重ねている
 ことしは天候にめぐまれず、恒例の師岡熊野神社七夕神事もいつになく人出がすくなかった。雨は十日以上やまず、この日も朝から雨つづきで、笹の短冊も例年になく少なかったし、濡れて貼り付いたりしていた。小学生たちの和太鼓演奏が終ってしまうと多くのひとが帰ってゆき、夜七時からの雅楽を目当てに来たひとは、あまりいなかったようだ。

 雅楽は鎌倉時代に関東につたえられ、鶴岡八幡などでも行われているが、耳慣れない音楽のためかチラ見するだけのひとが多い。クラシック音楽ですらベートーヴェンやマーラーどまりの「にわかマニア」がおおいのだから、調性が確立する以前の、独自の旋法をもつ「ほんものの中世音楽」は、冷たい旋律や複雑な和声進行にみちた「前衛音楽」同様、初心者には【不快このうえないもの】のようにきこえてしまうのだろう。

 旋法、というと難しくきこえるが、ロックにせよボサノヴァにせよ、「金毘羅船々」のようなお座敷唄にせよ、初耳なのにきちんとそれらしく聞こえるのは、ドレミファとは微妙にずれた、独自の音階・独自のコードをもっているからだ。異質ではあってもけして間違いではない。たとえば人気CMで浦島太郎が「海の(ドシソ)・・・」と謡うと一瞬で沖縄っぽく聞こえるのは6度【ラ】を欠き7度【シ】を多用する琉球旋法を模しているから。理論はともかくセンスのある人なら、直感でわかるのだけれど・・・。


 今に伝わる雅楽は、【鎌倉時代】にほぼ現在のかたちに定着したといわれる。古浄瑠璃の「しんとく丸」では、主人公の美少年が鮮やかに登場する場面で、四天王寺の石舞台で伽稜頻を舞う艶姿が挿絵になっている。また能の「石橋」(いわゆる連獅子)でも「獅子團乱旋(とらでん)の舞楽の砌(みぎん)、牡丹の花房匂い満ち満ち、大筋力(だいきんりきん)の獅子頭、打てや囃せや牡丹芳(ほう)」という歌詞に、舞楽の曲名が賛美され、中世をつうじて雅楽が、音楽としてなお上位概念であったことが偲ばれる。

 【鎌倉密教を伝え残した学僧】印融法印500回忌でおこなわれた舞楽でも迦陵頻が披露された。あとで聞いたはなしでは、遠い親戚の子がこのなかにいたらしい。堅物の叔父がdvdなどを借りてきて騒いでいたけれど、けっきょくどれがそうなのか分からずじまい(女の子らしい)。町内会で地域の歴史遺産、みたいなことをやりはじめている叔父がこんなものにも興味をもってくれたのはいいことだ。

 舞楽の装束は曲ごとにことなり、蘇利古の襲装束は平舞の「常装束」だが、袍の肩をぬぐなど曲によって着方に工夫がある(襲装束とは、武官の束帯をベースに唐風に装飾したもの)。また面で猿や鶴・龍などをあらわしたものもあれば、和紙の「冠(帽子)」やとくべつな柄のついた蛮絵・裲襠などの「別装束」を用いるものもある。また、舞楽でちびっ子がやるのは主に上述の迦陵頻や、胡蝶楽などだ。


 800年の過去にさかのぼるのはむずかしい。眼にふれるものの多くは再建されたたてものだったり、だれかが語り直した教科書や時代小説なのであって、NHK教養番組のBGMもほぼ近代音楽だ。「ほんもの」は結局、石塔のかけらだったり、誰も読まないような古文書だったり、地味で難しすぎる音楽だったりする。

 はやりのタピオカドリンクや自称文化人のフラ‐ダンスだけが鎌倉じゃない。商売や市民の趣味もだいじだけれど、「おしゃれな街」「カルチャー教室」なんてどこにでもあるものだ。その価値を発掘し、意識的に守らなくてはならないものは「ほんもの」だけだし、軽視されているのはあまりに残念。

 難解な音楽はすべて無調でデタラメ、そんな偏見も多い。そんなわけないのに。蘇利古は鶴岡の雅楽でもめったに観れないめずらしい曲目なのだが、インスタ映えはするかもしれない。上演されたらぜひ、お見逃しなく。


No.352