トップ鎌倉好き集まれ!もちださんトップ 第361号 


▲もちださんトップへ戻る

もちださんの鎌倉リポート No.361(2019年12月20日)



No.360
No.362



年の瀬―歌びとを訪ねて・7


 詩人の田村隆一さん(1923-1998)が「ぼくの鎌倉八景・夜の江ノ電」を出版したのは昭和六十二年(1987)のこと。当時の江ノ電のことを「玉川電車(ジャリ電) 市電(東京市の電車) の下取りで」と断じているが、書籍の挿入写真には窓のあかない新型車輌がうつっている(下)。そのころの私の記憶からすれば、新型車輛は重量感のない、「機動戦士ガンダム」のような、「パヤパヤ」した子供だましのしろものに思え、子供心にもいい印象はなかった。なんで旧型車輛をまたなかったのだろう。

 午後九時ごろ
 江ノ電に乗ってごらん
 はじめは混んでいるが石上
 柳小路それから
 腰越の小さな漁村にさしかかると
 まったく無人になる



沖積舎、1987
 「ぼくの鎌倉八景」。詩に歌われた八景の舞台と内容を順番にあげると、
【第一景】 まだ草むらだったころの永福寺跡の烏瓜(「野原のなかには」)
【第二景】 おでんが名物の天園茶屋にいた番犬(「天園あるいは老犬のこと」)
【第三景】 洋品店で色とりどりのパンティにまじって売られている、レデンプトリスチン修道院シスターたちが作ったクッキー(「滑川哀歌」)
【第四景】 花の町、魚の村
【第五景】 海上にみえる伊豆大島(「稲村ガ崎の夕陽」)
【第六景】 逆川あたりの店の飲みともだち(「さかさ川早春賦」)
【第七景】 若い子のいない酒場での寂しい噂話(「居酒屋」)
そしてラストをかざるのが【第八景】、「夜の江ノ電」。

 天園の茶屋では当時ジュースの販売機ばかりで酒がなかったらしい。ゴミが大量にちらかってたのは覚えているけれど・・・。シスターのつくる田舎風クッキーはレトロな透明の袋に入っていて、いまは駅ちかくのもとまちユニオンでも、当の修道院のまどぐちでも買えるけれど、さすがに下着屋のことまではしらない。詩の元ネタは「僕が愛した路地」(絶版1985)にあるから、裁許橋の中央図書館で捜してみて。冬の夕方には、大島が水平線に影絵の要領でくっきりとみえる時間帯がある。画像は(レポ28)参照。すぐ消えちゃうので、気付いたら撮影はお早めに。



さかさ川(上)・江ノ島駅
 「居酒屋」では、40男が60女に酔って抱きついて云々、っていうゴシップが語られる。ばかな男の、ある種のペーソスなんだろうけれど、鎌倉は風俗街じゃないし、文教地区も多いから、あまりそういう店を許さない雰囲気もあるらしい。「在日外国人の人権」なんてうたいながら市議会や区役所の後ろはフーゾクばかりなんて町もあるけれど、鎌倉の場合は小学校と深としたトンネルだけだし、観光客の若い男女は夜には帰っちゃうから、地元のじいさんからみれば、なんか人恋しくなるんだろうね、めっきりまばらになった人通りや、とりのこされたような、じぶんたちの年齢が。

 電車のなかなんかで、年わかいカップルをみて、ほほえましいと思う人もいれば腹立たしい、目障りだと思うひともいる。他者へのいつくしみ、あるいは殺意。そうした感情はたぶん自分自身の幸せな、または苦い記憶の反映でしかない。ニュースなんかで、いいとしをしたベテランTBS記者やまだ若い立憲議員らがまいど強姦や痴漢行為で告発されたりする事件をみるけれど、ばか?? ・・・他罰意識や過剰なまでの自己愛だけで他人とつながることなんてできないし、犯罪の目的は本質的に破滅にむかう自傷行為だから、自分自身に同情はしても加害者意識を持ちにくい。しかも加害の多くは泣き寝入りを強いる狡猾な方法で、おもに若者・子供・部下・女性などにむけられる。

 サイコパス(異常性格者)を濃密に賛美する暴力漫画やテレビドラマの氾濫なんかにも、昨今の世情が伺える。わたしは神? 笑わせる。しょせん誰からも愛されない自分をとりつくろうため、自分から嫌われようと強がっている自爆型の未開人か、一次反抗期の幼児心理学のようなものなんだろう。月並みないいかただけど、昨日より好かれる人間になれば世界観はかわるよ、たぶん。・・・



鎌倉駅
 田村さんは5人の妻をもった。第一景「野原のなかには」の冒頭で、「花屋の花は気に入らない」、というのは、たぶん女性のこともいっているんだろう。「我が秘密の生涯」なんか翻訳した人だし、そういえば「花屋の花は好きじゃない」って書き出しの詩もあった。それは銭湯の女湯の詩。なんのメタファーなんだか(笑)。花街うまれのかれにとって、いくら若くて超美人でも、どこか屍体のようなバーの女なんかには萌えなかったのか、いやそれは詩の上の話で、じっさいそうでもなかったのか。

 永福寺の先の二階堂の家は、もともと奥さんの家だったとか。二階堂ならあまり江ノ電になんかのらなかったのだろうけれど、「そのまえ」の家は稲村ガ崎。どこで降りるつもりだったのか「午後九時ごろ」、詩人は藤沢から鎌倉方面にむかう。朝早く、あるいはちょっと暗くなると鎌倉の界隈はめっきり人通りもさびしくなって、観光客のラッシュアワーがすっかりはけてしまえば、駅もなんだか、いなかのローカル駅みたいにしんみりする。ただ、さすがに乗客がたったひとり、なんてことは今の鎌倉では考えにくい。それは「今はむかし」の物語り。

 「・・・文化人が住んでいる 鎌倉村に入っていく たった十キロの藤沢―鎌倉の距離で よくも文化村と云ったものだ」「乗客はぼく一人 単軌鉄道はくねくねと民家の裏側を走りぬけ 手をのばせば 民家の窓の灯 樹木の枯葉に手がとどく」。



豪徳寺のまねき猫のついでにでも
 ブンカジン大嫌い
 夜の海が前面にひろがる
 漁火が見える 小さな灯台の光が見える
 相模湾の黒くて青い水平線

 田村さんの詩は基本的にはやさしい語句でできているけれど、ときどき唐突な表現も差し挟まれる。「ぼくは おもむろに立ち上がり 緑のベレーをかぶり 赤いチョッキを身につけ 進歩的文化人になりすます」。さきに「大嫌い」といいながら、鎌倉駅に近づくと徐ろに「進歩的文化人になりすます」というのは、文壇での仕事やこの町での人付き合いの都合上、そうした誤解や擬態も必要だ、というのだろう。

 緑のベレーは反核などをとなえる緑の党。赤いチョッキは当時まだ絶大な人気の共産党。ベルリンの壁崩壊1989が二年後だから、ブンカジンたちはまだ何もしらずに鎌とトンカチがついた赤い旗を幻覚的に崇めていたし、不都合なものは何ひとつ見ようとしなかった。というよりいまも、好戦的な【第三世界】にだけ特恵や友好をとなえ、全体主義国家をまるで【究極の理想郷】であるかのように夢想しつづける学者やマスコミは多い。・・・詩人は続ける。「緑の党を 赤い党が支援する こんな愉快な村はめったにない 宗教法人税法のおかげで 説教したがる坊主に 妾が四人もいるとは ちっとも知らなかった」。なかみのない「正義」の熱狂にうかされる、にわか文化人にたいする皮肉は手厳しい。


 熱狂的なマニアといえば、江ノ電もなかの扇屋さんの切断車体はいつごろからあるんだろう。あれは651(旧602)で、東急世田谷線(旧玉電の支線)宮の坂駅に展示用に帰ってきたのが601(上)。かつて玉電で20年ほど運用されたのち、1970-1990のあいだ江ノ電をはしった。江ノ電ではカーブが多いため、改造後、【この二輛】はつねに連接され中央台車を共有していた。後者は外部塗装を東急時代に戻され、保存状態もよくないが、なかに自由にはいれるし、いじくりまくることもできる。

 同じく詩によまれた戦前の都電(旧王子電軌≒旧東京市電)車輛については当時、最古参車輛としてのこっていた。当初は単編成のトロリー式路面電車として昭和初期につくられ、はじめて連接車に改造されるなど実験的な役割もはたして延命したらしく、90年代に廃車されるまでは301などとよばれていた。ほぼ同系統で、通称「タンコロ」とよばれた107は海浜公園、108は極楽寺車庫にあって「タモリ倶楽部」などでおなじみ。ただしこちらは「下取り」車輛ではない。

 私は昨今の鉄道ブームのことにはうといけれど、中学一年くらいまでは古本屋でむかしの鉄道雑誌をあつめたりした。ただ通学通勤ラッシュが苦手だったり、ローカル線でも窓が開かなくなったり、実際にプルートレインの「銀河」とかに乗ってみると車両が靴下臭くて眠れなかったりと、だんだん礼讃ばかりのブームには疎遠になってしまった。もちろん電車には悪い記憶ばかりじゃないのだけれど。・・・


 年の瀬になると各地にクリスマス‐ツリーがかざられ、鎌倉でもどこでも民家のところどころにLEDやオーナメントがいろどられる。マシュマロの袋にはサンタの橇、教会のプレゼビオはイエス生誕のものがたりが飼葉と人形で再現される(上)。ことしであった女の子は大晦日が誕生日だからあまり友達に祝ってもらえないの、といっていた。かわいい。だからことしは、キリストよりも彼女のことを思う。

 江ノ電は
 まず高架鉄道を走り
 それから
 路面電車にかわり
 ポルノのポスターの可愛いお婆ちゃんに別れをつげると
 文化人が住んでいる
 鎌倉村に入っていく

 「ポルノのポスター」云々というのはよくわからないが、車窓にうつる場末の飲み屋街の景色だろうか。昔はピンク映画の迷惑広告が裏路地のあちこちに、律儀にも完全に色褪せて破れるまで、貼ったままになっていたから。誰もが目をそむける、そんなポスターにもある種の悲哀や、人間模様を詩人はみていた。そしてこう結ぶ。・・・「白い波頭 乗客は ぼく一人」。


No.360
No.362