中世、建長寺正統院の荘園図としてえがかれた「武蔵国鶴見寺尾郷絵図」1334には、中央の「寺」のほかいくつかの寺社が描かれている(レポ264・265参照)。現在「寺」の位置には、明治末年に能登で全焼した曹洞宗大本山・総持寺が移転1907してきて、鶴見のランドマークになっており、昔のスター・石原裕次郎さんのお墓があることでもしられる。また、絵図の右(北)端、末吉郷の丘にえがかれた「正福寺・阿弥陀堂」というのは現在の末吉真福寺。その他、いくつかの地点で現在地との比定が行われている。
「寺」のちかくに細字でえがかれた「小池堂」は現在、子生(こいけ)山東福寺とよばれる真言寺院。ここは旧境内地が大正時代に「花月園」という広大な遊園地になり、戦後は競輪場、いまは土地再開発がすすんでいる。いずれにせよ「曹洞宗大本山」だの「競輪場」がつくれるだけの境内地があった、ということは前身の古寺がけして小さくなかったことを物語る。
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