野茂投手やサッカー中田選手が始めて海外リーグに挑戦したとき、「絶対に通用しない」「化けの皮がはがれる」「ほえづらをかく」などと、根拠もなく呪いの言葉を浴びせかけたのは、日本のマスコミだった。大正時代、ウィーンに留学した女流ピアニストが、悲観のあまり自殺したのも、「現地の大家に否定された」「井の中の蛙」「あちらでも着物を着て物笑いになっていた」等、日本での悪意にみちた中傷報道によるものだった。異文化に、そうかんたんに受け入れられるわけがない。仮に失敗したってあたりまえ。成功しなければお国の恥だとか、非国民とか叫ぶマスコミのほうがよほど田舎くさいし、みぐるしい。
フィンガーボウルの水をまちがってのんじゃった人の話は、漱石が百年以上も前に書いているが、いまだに我が事のように恐縮している。ごはんはフォークの背に載せて食べましょう、なんてデタラメ番組を得意顔で放送していたのは、どこの誰。「これから世界にのりだしてゆく日本」だなんて、いまどき得意げに教訓するばか新聞もあるが、世界になんかすでに古代・中世からとっくにのりだしていた。「・・・推古より今に至る七百歳、学者の西遊を事とするや千百を以て数ふ」(虎関「元亨釈書」)。
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