鎌倉好き集まれ!大佐和さんの鎌倉リポート・第2号(2005年1月22日)

古典作品に見る鎌倉2 万葉集(2)

宝戒寺にて(2004年)
写真と本文はまったく関係ございません。
あしからず。

前回に続いて『万葉集』です。

1.万葉がな

万葉集が編纂されたのは奈良時代の終わり。その頃はまだひらがなもカタカナもなく、万葉の歌はすべて漢字で表記されていました。
国語を表記する手段を持たなかった当時の人々は漢字の音や訓を用いてことばを表そうとしていたのです。こうして用いられたことばを「万葉がな」といいます。

たとえば、前回取り上げた歌

  鎌倉の見越(みごし)の崎の岩崩(いわくえ)の君が悔ゆべき心は持たじ
                           (巻14・3365)
を万葉がなで表記すると、

  可麻久良乃美胡之能佐吉能伊波久叡乃伎美我久由倍岐己許呂波母多自    
 (かまくらのみごしのさきのいはくえのきみがくゆべきこころはもたじ)

となるわけです。





2.写本による異同

江戸時代に出版産業が確立されると文学作品も印刷されるようになりましたが、それ以前は作品を読みたいというと、よそから借りてきて自分で書写していたのです。これを写本といいます(万葉集の写本は主要なものだけでも20種類以上あります)。人の手で写すものですから、筆写していく中で写し間違いが生じたり、写す人が勝手に本文を書き換えたりもしていたようです。そうした異同は万葉集の写本の間でも見られるもので、やはり3365歌を例にしてみると、
       ・   ・ 
   可麻久良乃美胡之能(西本願寺本/鎌倉末期書写)
   可麻久良能美胡之乃(類従古集/平安後期書写)

といった違いが写本によって生じているわけです。この歌では大した違いはないのですが、こうした諸写本による文字の異同を学者たちが校合し、編纂当時のものに近いのはこれではないかと検討して、もっとも適当だと思われるものがこんにち活字になって出版されているわけです。




宝戒寺にて(2004年)。

鎌倉山といえば僕にとっては鎌倉山納豆。
こちらの商品、「創意」は昔の人が食べていた納豆の再現を目指したというコンセプト商品。可能な限り自然農法で育てた大豆と化学調味料を使わない醤油を使用しているとのこと。まさに健康志向。
僕はきざみネギを混ぜた納豆をトーストに乗せて食べるのが好きです。
名付けて「なっとースト」
みなさんもご賞味あれ。

鎌倉山納豆さんのホームページ
「納豆屋さんどっと混む」
商品のネット通販をはじめ、ユニークな内容盛りだくさんです。とくに「コラム」のページはオススメです。最近話題のノロウィルスについても詳しく説明されていますよ。
「納豆屋さんどっと混む」→鎌倉トゥデイのトップページよりアクセスできます。

そういうわけでレポート番外編
「古典作品にみる納豆」
ただいま企画考案中であります。

3.巻14・3433歌
   


  薪伐(こ)る鎌倉山の木垂(こだる)る木を
             まつと汝(な)が言はば恋ひつつやあらむ  
                          (巻14・3433)


 (歌意)薪を切る鎌という名をもつ鎌倉山。
  そこに生い茂る木々を松/待つとあなたが言ってくれたならば、
  こんなにも恋にもだえることもないのに。



「薪伐る」というのは「鎌」を導き出す為に用いられたことば。このように特定の語を導くために用いることばを枕詞(まくらことば)といいます。薪を切るのに用いた鎌に因んだものです。
「鎌倉山」とありますが、これは現在の湘南モノレールの西鎌倉駅にある鎌倉山ではなく、鎌倉の山々を総称した表現です。もしくは「鎌倉のとある山」といった意味合いでしょう。
鎌倉の山に茂っているのは松の木。その「松」の木と「待つ」の意味を掛けている。このように、同音異義のことばを上下にかけて、二様の意味を持たせることばを懸詞(かけことば)といいます。
さらに「薪伐る鎌倉山の木垂る木を」は、「松/待つ」が言いたい為に前置きとして述べられたことばで、これを序詞(じょことば)といいます。
枕詞と序詞、どちらもある語句を導き出すために用いられるものなのですが、枕詞は1句なのに対し、序詞は2~4句で成るものをいいます。

この歌も前回の2首同様「東歌」なのですが、どうも解釈がむずかしい。
「待つ、とあなたが言ってくれたなら、私はこんなに恋に悶えたりはしない」
と訳しましたが、これは
「あなたが待つと言ってくれたら、私はこんなに恋に苦しまずに、ずっと、ただただ好きでいられるのに(今すぐにでも会いにいくのに)…」
というつもりで詠んだのではないかと思うのです。
この歌、どういう状況でうたわれたのかイメージしにくく、いまひとつ理解しづらいところがあります。
(力不足だ)



4.巻20・4330歌

最後に挙げるのが防人歌(さきもりのうた)



  難波津に装ひ装ひて今日の日や出でて罷(まか)らむ見る母なしに
                          (巻20・4330)
  右の一首、鎌倉郡の上丁、丸子連多麿
                (まるこのむらじおほまろ) 


  (歌意)難波の港で準備をして、今日こそは出発するのであろうか。                       
                    見送ってくれる母もいないのに。
                             
      右の一首は、鎌倉郡の上丁、丸子連多麿


本来は縦書きだから「右」と注意書きがあるわけです。鎌倉出身の丸子連多麿という人物が防人に徴発されて、難波で母を思い詠んだ歌です。防人歌は全体で百首ほどあるのですが、こうした血のつながった者への思いを述べた歌が多いです。難波は今の大阪になりますね。「上丁」は「かみつよぼろ」と読み、公用に仕える「丁(よぼろ)」という身分の上位にあたります。
防人というのは、北九州防備の為に、主に東国から強制的に徴発された男子をいいます。任期は3年間(といっても任期を終えても帰れなかった人も多くいたようです)で、家族・恋人とも引き別れ。徴発された防人は食料や武器などほとんど自前で、任務も含めてたいへん厳しい負担を強いられたそうです。
東国から九州までの道のりは、かつてはすべて徒歩だったと言われていましたが、最近では、この難波に集まって船に乗って九州まで移動したという説があり、どうもこちらの方が現実味を帯びているような気がします。




  ★     ★     ★     ★




2回にわたって万葉集から4首を取り上げましたが、我々が今読んでみても、どの歌も共感できるでしょう。現代語と古文、ことばの隔たりはあっても、今のひとも昔のひとも思ったり考えたりしていることは変わらないでしょ?
ねっ?

「万葉集って古くさいなぁ」なんて言わないでね。



次回は「古事記と奈良時代の史料」です。





鶴岡八幡宮(2002年)

○文献(No.1~2)
『新潮日本古典集成 万葉集4~5』
   (青木生子、井手至、伊藤博、清水克彦、橋本四郎校注
                       新潮社、昭57)
『日本古典文学大系 万葉集3~4』
   (高木市之助・五味智英・大野晋校注、岩波書店、昭49)
『万葉集全訳注原文付3~4』(中西進、講談社文庫、昭56)
『万葉集古義』(鹿持雅澄、国書刊行会、大13)
『校本万葉集8』(佐佐木信綱ほか編、昭6)
『万葉集東歌古注釈集成』(桜井満著、桜楓社、昭47)
『萬葉集東歌の研究』(水島義治著、笠間書院、昭59)
『万葉集を読むための基礎百科』(神野志隆光編、学燈社、平13)
『万葉の旅(中)近畿・東海・東国』(犬養孝著、社会思想社、昭39)
『諸本集成倭名類聚抄』(京都大学文学部国語学国文学研究室編
                        臨川書店、昭43)
『鎌倉史跡辞典コンパクト版』(奥富敬之著、新人物往来社、平10)
『鎌倉事典新装普及版』(白井永二編、東京堂出版、平4)
『旺文社古語辞典』(守随憲治ほか編、旺文社、昭50新訂版)

※万葉集本文(訳文)については、
「訓読万葉集」
(http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/manyok/manyo_k.html#目次)
より引用させていただきました。

※鎌倉山納豆の野呂社長様、画像のご協力ありがとうございました。