鎌倉Today

鉢の木 由来

時は鎌倉時代。

諸国行脚の旅をしていた北条時頼は、上野国佐野で大雪に遭い通りがかった家に宿を乞いました。

宿の主・佐野源左衛門常世は、貧しい生活ながらも粟飯を炊き、宝物として大切にしていた梅、松、桜の三本の鉢木を惜しまず焚いて見ず知らずの旅人である時頼をもてなしたと伝えられています。

この話は謡曲にもなり、古くから広く日本の美談の一つとして語りつがれています。

「鉢の木」は昭和39年に創業いたしました。

屋号は本店が北条時頼の建立になる『建長寺』門前に創業したことから、この古事にちなみお客様を心をこめておもてなしするよう名づけられたものです。


精進料理

仏教の伝来と共に中国・朝鮮を経て日本に入ってきた精進料理は、日本の風土に溶け込み、中国・朝鮮とは一味も二味も違った、繊細で合理的な料理として発展してきました。

一般に日本料理と西洋料理との違いは、「水の料理」「脂の料理」という分け方がある様ですが、大陸と島国日本においてもある一面同じことが言えそうです。

材料は植物、特に大豆、木の実(胡麻、胡桃)等を多く使い、季節と共に品を変え、相手を替えて共に生かし合って行くのです。春には、一斉に芽をふきだす草木の新芽と、夏には、青々と育った緑の葉物と、秋には、自然の恵みをたっぷり受けた果実類と、そして冬には、身を芯から温める根菜類と、その様に四季を感じ流れに逆らわない材料で、自然に献立が調えられてゆくのです。

仏教では「因果応報」という事が信じられ、万物には皆命が有るという概念があり、その様な考えから生まれた精進料理は、とりわけ動物を食することを戒め、植物においてもその物を最大限使いきり、生かしきることを美しい姿としています。また「精進」とは、雑念を去り仏道を修めることであり、すなわち、限りなく完成された人間に近づく努力、行動をしてゆくということです。

精進料理は、この「精進」の為の一つの形であり、材料を調理することそれ自体も「精進している」ことなのです。但し、現代多くの人々は、《菜物=精進料理》として狭義の語として使うことが通例のようです。

一世紀迄さかのぼらなくとも、多くの日本人の食生活は、自然と一体となり動植物と共に生きてきました。ところが現代では、欧米の食生活が日常的となり、このような精進料理を食することは少なくなりました。しかし、ごく最近、栄養的にもバランスのとれたこの料理は、健康食として、また、伝統が息づく代表的な日本料理としても、注目される様になってきました。

私たちは、この様なことを思いつつ、お客様とのかかわりから学び、また、私達の心を精一杯伝えられる様、精進したく思います。