鎌倉好き集まれ!KIさんの鎌倉リポート・第87号(2008年4月30日)

鶴岡八幡宮のルーツを旅して(その10)~ついに宇佐神宮へ

宇佐神宮遥拝式 ~鶴岡八幡宮にて

去る3月18日,鶴岡八幡宮で『宇佐神宮遥拝式』を見学しました。宇佐神宮は八幡宮の総本宮であり,わずか5分ほどのこの遥拝式が実はとても重要な式典であることは,すでに公開したレポート No.82でも述べたとおりです。

そして,年度が変わって4月の上旬。
鎌倉の地から遥拝した宇佐神宮への参拝がついに実現しました。

「あなたが九州に行く4月10日には,朝から宇佐神宮で祭事があります。予定変更が可能なら当日の朝一には神宮に居るようにされ,桜花祭を見られることをおススメします」

鎌倉でもらったアドバイスに従って急遽,旅立ちを早め,宇佐神宮のある九州大分の地に入ったのは4月9日夕方。
 
そして,別府の温泉で参拝前夜の禊(みそぎ)をした次第であります。
ああ,ホント いい湯だなぁ
いや~,ほんに ええお湯ぅやなあ
あいっ,じゅんに いー湯ーやさぁ~

4月10日の朝6時半,別府駅から始発の特急電車で宇佐駅へ。さらにバスを乗り継いで「宇佐八幡」前に到着しました。宇佐神宮への参道入口。

今,目の前にあるのが全国4万余り存在する八幡神社の総本社,とうとうここに来てしまったんだぁ・・・

小雨模様もなんのその。入口の巨大な鳥居を見上げ,数年来の願望が叶う瞬間はホント感無量でした。
 朱塗りの大鳥居をくぐり,古代の朱雀大路もかくやと思わせる,長大な砂利の表参道をひとり歩きます。さらに鬱蒼とした坂を頂上に上り詰めるとようやく「上宮本殿」。宇佐神宮の本殿です。
 上宮本殿に到着したのは午前8時。ちょうど巫女さん達が境内の掃除をし,参拝客を迎える準備をしているころでした。
 ちなみに入口からここまで徒歩で30分。宇佐神宮の広大さがわかっていただけるでしょうか。

上宮本殿は3つの神殿から成り,順番に,一の御殿(応神天皇),二の御殿(比売大神), 三の御殿(神功皇后)の八幡三神が祭られています。
 宇佐神宮を訪れてまず挙げるべきはその参拝方法。お馴染みの鶴岡八幡宮をはじめあまたの神社では「二礼・二柏手・一礼」が基本なのですが,この神宮では違います。

「二礼・四柏手・一礼」

その由来はわからないけれど宇佐神宮と出雲大社だけに伝わる参拝の仕方。

パン! パン! パン! パン!

早朝の人影まばらな境内に,独特の柏手が時折響き渡ります。

「あ~,お腹すいたなぁ。そういや朝食まだだった・・・」
「すいませーん,パン 四つ!くださ~い^^」

朝8時,宇佐神宮の上宮本殿にて

桜の花と神宮庁(宇佐神宮の社務所)

菱形池の太鼓橋。この池は応神天皇の神霊(八幡大神)がご顕現になった場所

午前10時の「桜花祭」までにはまだだいぶ時間があるので,広大な境内を散策しました。鎌倉では見ごろを終えたソメイヨシノがここ大分県ではちょうど見ごろでした。
 上宮から石段を降り,仁徳天皇(オホサザキ大王)を祭る「若宮神社」を経て,「下宮」へと至ります。この下宮もまた上宮と同じ三神殿から成っており,上宮と全く同じ三神が祭られています。かつて,上宮は国家祈願のため,下宮は一般民衆の祈願のためにと,2箇所に分けて全く同じ神々を祭ったのが由来だそうです。
 上宮下宮以外に,若宮神社を始め9社もの神社が広大な敷地に存在しています。自分は4月10日じゅうにはこれら全てを回りきることができず,翌11日にも再び宇佐神宮を訪れた次第です。

かつて「宇佐嶋」と呼ばれた今の宇佐市では,八幡大神のご顕現よりずっと前から,この地の豪族,宇佐一族によって宗像三女神が祀られていました。
 今ある八幡信仰の発祥の舞台となったのが,境内にある菱形池。表参道をはさんで神宮庁の反対側にある大きな池です。自分が訪れた日は,池畔のソメイヨソシノが満開で,枯れ蓮の水面に桜吹雪を散らせていました。
 宇佐神宮由緒記によれば,欽明天皇(ヒロニワ大王)の治世32年目(西暦571年),この静寂な池のほとりに,200年ほども前に崩御した応神天皇(ホムタワケ大王)の御神霊が光臨し,神官の大神比義(おおがのひぎ)に「あれはホムタノスメラミコト(誉田天皇)なり・・・云々」と御託宣したとのことです。
 さもありなんと思わせるような,幽玄な雰囲気を湛えた神の池でした。

上宮と下宮で買った「八徳神おみくじ」

中には小さな御神像;応神天皇(左)と仁徳天皇(右)

ところで,神社参りの定番といえばやはり「おみくじ」。
ここ宇佐神宮オリジナルの「八徳神おみくじ」(\200)というものがあります(左写真)。
 袋の中には,普通のおみくじと一緒に右写真のような小さな御神像が入っているのです。八徳神の名前のとおり,御神像は全部で以下に示す8種類あります。

“八幡大神(応神天皇)・比売大神(宗像三女神)・神宮皇后・武内宿禰・天御中主神・和気清麻呂・素戔嗚尊・若宮(仁徳天皇)”

いずれも宇佐神宮の境内に祭られている神様なんですが,袋の外からはどれが入っているかわかりません。自分は上宮で1個,下宮で1個,あわせて二つ買い求めました。

さて,どの神様にあたるかな

表参道のベンチに座って,封を開けると・・・
上宮で買った袋からは,若宮様すなわち仁徳天皇, おお~!
そして下宮で買った袋からは,やった,やりました!
八幡大神様こと応神天皇がご顕現になりました。
 お二人とも大弓を片手に持ち,ハニワでよく見るような胡服装束にみずら結いの髪型をした古墳時代のスタイルです。写真だと,仁徳天皇のみずら結いはわかるけど,応神天皇(みずらの髪型の上から三角形の王冠を被っているのですが)のほうはピンボケでちょっとわかりにくくなっています(^^;)
 このお二人,4~5世紀はじめに親子2代にわたって,内政と外征の両面で倭国の勢威をさかんにし,大和王権の最盛期を築いたとされる大王です。
 思いもよらず,古代の偉大な大王親子の似姿をゲットして意気揚々と境内を歩き進む自分でした^^

宇佐鳥居と西大門

菱形池の枯れ蓮

かつて,神宮寺(弥勒寺)があったというあたりに歩を進めます。

宇佐神宮の由来に話を戻すと,571年の主神ご顕現の後,宇佐の地では,従来の宗像三女神とともに八幡大神も祭祀されました。そして,725年には,現在の上宮本殿がある場所に社殿が造営され,わが国最初の八幡宮として宇佐神宮が発足しました。それが,859年には平安京の鎮護として洛南に勧請されて石清水八幡宮ができ,さらに1063年には石清水から鎌倉の由比郷に勧請されて鶴岡八幡宮が誕生しました。
 また,八幡信仰の普及とともに全国各地への分霊勧請も行われ,千年以上の時間をかけて,現在,4万余の八幡宮ないし八幡神社が存在するに至ったのです。

 さて,ここで質問です。
「そもそも大和・河内にいたはずの応神天皇が,なぜ遠く離れた九州に神として降臨しないといけなかったのでしょうか?」

ここまで読んできて,そんな疑問を抱かれた人いるんじゃないでしょうか。ここらで少し応神天皇ことホムタワケ大王の生い立ちに関する話を,最近の学説など交えて紹介しなければなりません。
 実は,ホムタワケ大王が誕生したのは,大和ではなく北九州なのです。このことは記紀にも書かれています。
 そのことに考古学の研究成果などをあわせて解釈すると以下のことが推定されるそうです。

“ホムタワケノミコトは大王になる以前は北九州の有力豪族だった。まずは地元の九州を拠点にして朝鮮半島で戦果を上げた(これが西暦369年と371年に起きた倭軍の南韓出兵に該当)。これにより実績と周囲の信望を取り付けた後,瀬戸内海づたいに大和に東征して現地の敵対勢力を倒し,大和王権の新たな大王として即位した。”

これはあくまで仮説(状況証拠から考えられる一つの可能性)であって確実なことではありませんが,ホムタワケ大王が北九州と何らかの深い繋がりを持っていたことは,まあ間違いないだろうというところでしょうか。なお,大王になった後のホムタワケノミコトが倭国の発展に大きな業績を残したことは,昨年のレポートNo.65でも述べたとおりです。
 今ひとつ,八幡信仰のルーツをたどれば,大陸由来の八旗(やはた)のシャーマニズムにも行き着くそうです。祭壇に多くの旗を立てて,パタパタと風にはためく様子から神のお告げを読み取るという古代朝鮮の巫術だそうです。日本史でいう弥生時代あたりから,宇佐の地に製鉄や工芸など先進技術とともにこのシャーマニズムももたらされ,その後,倭王として顕著な業績を挙げたホムタワケ大王に対する英雄崇拝がそれと結びついて,現在見られるような「八幡大神=ホムタワケ大王(応神天皇)」という図式の八幡信仰が出来上がってきたというのが真相なのかもしれません。
 

西参道の末にある呉橋

表参道の入り口にかかる神橋

古の空気感が漂う境内で思いをめぐらせているうちに,時刻は9時半を回りました。

神宮寺跡から西参道を足早にまっすぐ歩くと,境内の境界にかかる呉橋に至ります。橋というよりは川をまたいだ社殿といったほうがいいような屋根がついた朱塗りの立派な建造物です。
 皇室から勅使を迎えたときだけに使われる特別な橋。
 「呉橋」という名が示すとおり,中国江南の工人が造った橋だといわれており,記録によれば鎌倉時代には既に存在していたそうです。

時刻は午前9時45分。

10時から,桜花祭の神事が行われるので, そろそろ上宮本殿に戻らなければなりません。
 西参道から取って返して境内社の八坂神社を横目に,石段を駆け登り,再び上宮本殿へと急ぎました。

次回は,この桜花祭の儀式と神楽のことをレポートしようと思いますので,宇佐神宮レポート,今回はここまでにさせていただきます。(次号につづく)                     

桜花祭が執り行われる上宮本殿にて

凛とした祝詞の声が響き渡ります