水の寺
元は真言宗の寺だったが、1253年(建長5年)鎌倉幕府六代将軍宗尊親王の命により藤原仲能がここに七堂伽藍を再建した。しかし1333年(元弘3年)の鎌倉幕府滅亡時に焼失。
その後、1394年(応永元年)鎌倉公方足利氏満の命により心昭空外を開山に招いて再建。以後扇ヶ谷の上杉氏の保護を受けて栄え、1577年(天正5年)に臨済宗建長寺に属し現在に至る。
鎌倉十井にあげられている、山門脇の底脱の井、薬師堂裏の十六の井があり、水の寺とも呼ばれている。臨済宗の寺。
住所 | 扇ヶ谷4-18-8 |
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交通アクセス | JR鎌倉駅西口から徒歩20分(現在地からのルートを表示 ) |
TEL | 0467-22-3175 |
拝観時間 | 9:30〜16:00 |
拝観料 | 志納(十六の井100円) |
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山門
建長5年(1253)藤原仲能が建立した七堂伽藍跡に、応永元年(1394)鎌倉公方足利氏満の命により再建された。
開山は「殺生石伝説」にまつわる謡曲「殺生石」で有名な心昭空外(源翁禅師)。
殺生石伝説とは、鳥羽天皇が那須で殺した白狐が巨大な石となり、これに近づくものや触ったものすべてが死んでしまうという祟りで恐れられた。のちに源翁心昭(源翁禅師)が経を唱えながら杖で石を叩くと石は粉々に砕け、狐の霊は成仏したというもの。
本堂
堂内には薬師三尊像や十二神将像、伽藍神像などを安置する。
本尊の薬師如来像は、別名啼(なき)薬師、児護(こもり)薬師と呼ばれる。
薬師如来像の胎内には、幼子の泣き声をたよりに源翁禅師が土の中から発掘したという薬師様の仏面が納められている。
薬師堂
底脱ノ井
門前には、鎌倉十井のひとつで、「千代能が いただく桶の 底抜けて みずたまらねば 月もやどらじ」と歌われたと伝えられる「底脱ノ井」がある。
十六の井
非公開の庭園