鎌倉好き集まれ!eggmanさんの鎌倉リポート・第34号(2005年2月22日)

光明寺と和賀江島

光明寺の裏山へ

光明寺の裏山への道は崖の崩落のため立ち入り禁止となっています。醜いフェンスがあり、崖は崩れています。この写真のもっとも崩れている部分にはコンクリで補強されたやぐらがあります。中を見ると墓石・供養塔などと見える石と石材とが詰め込まれていました。

高度成長期の頃に読んだ本に、やぐらが急速に壊されつつある、と書かれていたような記憶があります(曖昧な記憶、出典不詳)。でも今はそれに輪をかけて失われつつあるのではないでしょうか。原因の一つは開発で一つは、もうこのような崩落と考えています。

これだけ木が繁ると根が岩を砕き、枝は台風の風を大きく受け、崖を崩します。
前 33 号に紹介した石切場の岩にも根が張っています。去年( 16 年)秋の台風による崖崩れについて、他の方々が亀が谷や広町の森の中などをご紹介されています( hiro さん、kei さん)。

炭焼きがなされていた頃には木がこんなに育たなかったので今のような崖の崩落はなく、だからやぐらは数百年静かに眠ってこられたものと考えています。

崩落の原因

わかめと和賀江島、その奥は城ヶ崎?

うっとしい話ばかりだったので・・・春の話題。

光明寺から海に出たところでわかめを干していました。
右上、海の中に細長く出ている岩場が和賀江島、関東大震災で海が陥没しこのように沈んだ、と聞いています。波による浸食ではないようです。...だいぶ前にたしか表の掲示板で話題にあがったと思いますが...
大正時代だったかに、鎌倉の交通を便利にするために山が削られました。そのおかげで市民は生活が便利になり観光にも行き来しやすくなったわけです。
稲村ヶ崎の切り通しには週末の夕方には和賀江島からも見えるぐらい自動車が並んでいます。

和賀江島から江ノ島を望む、切り取られた稲村ヶ崎

ちょうどきれいな日没が見られました。

15 号に紹介した妙長寺、どういうことか分かりませんが取り壊されていました。立て直しなようですが・・・ 最高級に雰囲気のあるところでしたので胸が痛みます。これまでに紹介しているところですでに無くなっているところは他にもあります。

やっぱり最後の最後までうっとしい話になってしまいました...

春の夕陽