鎌倉好き集まれ!十六夜さんの鎌倉リポート・第65号(2010年12月7日)
鎌倉の紅葉・・・(2)
功臣山 報国寺
今回は坂東三十三観音霊場第二番札所曹洞宗海雲山岩殿寺へ報国時前より巡礼古道を歩き逗子市久木へ向かった。
源頼朝公が伊豆の蛭ケ小島で不遇な日々を送っているころ、当寺の本尊を篤く信仰し、平家追討の石橋山の合戦での敗戦のおりには当山の観音さまが船頭に姿を変えて海路房州まで案内し、無事に護り導くやいなや、たちまちのうちに観世音の妙容をあらわして三浦に飛び去ったといわれている。
鎌倉幕府の時代になると、頼朝公は毎月欠かさず参拝され、朱印地を寄進された。吾妻鏡に記述がありました。文治三年(1187)二月二十三日大姫君の御願によって、相模国内寺塔に於いて誦経を修せらる。姫君岩殿寺観音堂に参り給うと。
源頼朝公が伊豆の蛭ケ小島で不遇な日々を送っているころ、当寺の本尊を篤く信仰し、平家追討の石橋山の合戦での敗戦のおりには当山の観音さまが船頭に姿を変えて海路房州まで案内し、無事に護り導くやいなや、たちまちのうちに観世音の妙容をあらわして三浦に飛び去ったといわれている。
鎌倉幕府の時代になると、頼朝公は毎月欠かさず参拝され、朱印地を寄進された。吾妻鏡に記述がありました。文治三年(1187)二月二十三日大姫君の御願によって、相模国内寺塔に於いて誦経を修せらる。姫君岩殿寺観音堂に参り給うと。