鎌倉好き集まれ!KIさんの鎌倉リポート・第134号(2008年12月31日)
【Photo Review 2008】紅葉の金沢街道
KIです。たびたび失礼いたします(^^;)。
今回は,旬の紅葉を求めて,撮り歩いた金沢街道沿いの寺社などをまとめてご紹介いたしましょう。
鶴岡八幡宮の東口付近からスタートし,頼朝公のお墓,荏柄天神社を経て,杉本寺,浄明寺。そしてさらに東へ十二所から横浜市との境界,朝夷奈切通しを越えました。
この11月末から12月上旬にかけて,何回かに分けての旅路でした。
まずは,金沢街道の鎌倉側の起点あたりから,源頼朝公の墓前の白旗神社(法華堂跡)と荏柄天神社へと至る道から写真をご紹介しましょう。
今回は,旬の紅葉を求めて,撮り歩いた金沢街道沿いの寺社などをまとめてご紹介いたしましょう。
鶴岡八幡宮の東口付近からスタートし,頼朝公のお墓,荏柄天神社を経て,杉本寺,浄明寺。そしてさらに東へ十二所から横浜市との境界,朝夷奈切通しを越えました。
この11月末から12月上旬にかけて,何回かに分けての旅路でした。
まずは,金沢街道の鎌倉側の起点あたりから,源頼朝公の墓前の白旗神社(法華堂跡)と荏柄天神社へと至る道から写真をご紹介しましょう。
杉本寺
荏柄天神社の一の鳥居前から歩くこと数分ほどで杉本寺に到着します。
西暦734年に行基によって創建されたと伝えられる十一面観音のお寺。
同じ奈良時代に十一面観音ということから,前に紹介した長谷寺(伝736年創建,十一面観音)に似ていますね。レポート125号で述べたように実は長谷寺は鎌倉幕府成立以後に建立されたのではないかと考えられていますが,杉本寺のほうは1189年に堂が消失し,1191年に源頼朝が修理したとのことから鎌倉幕府以前からこのお寺は存在したと考えられています。
そんな杉本寺を訪れたのは12月7日。ちょうど紅葉が盛りでした。
西暦734年に行基によって創建されたと伝えられる十一面観音のお寺。
同じ奈良時代に十一面観音ということから,前に紹介した長谷寺(伝736年創建,十一面観音)に似ていますね。レポート125号で述べたように実は長谷寺は鎌倉幕府成立以後に建立されたのではないかと考えられていますが,杉本寺のほうは1189年に堂が消失し,1191年に源頼朝が修理したとのことから鎌倉幕府以前からこのお寺は存在したと考えられています。
そんな杉本寺を訪れたのは12月7日。ちょうど紅葉が盛りでした。
旧華頂宮邸と浄妙寺
杉本寺付近には見所が集まっていますね。
報国寺(竹寺),旧華頂宮邸,浄妙寺。
昼食をとるのにちょうどよいレストランなどもあり,ちょうど紅葉の休日には,必ずといっていいほど付近の道路は渋滞し,バスが1時間くらい遅れるほどの人気スポットです。
その紅葉は,各地から大勢の人が集まるだけのことはあります。
報国寺(竹寺),旧華頂宮邸,浄妙寺。
昼食をとるのにちょうどよいレストランなどもあり,ちょうど紅葉の休日には,必ずといっていいほど付近の道路は渋滞し,バスが1時間くらい遅れるほどの人気スポットです。
その紅葉は,各地から大勢の人が集まるだけのことはあります。
石窯ガーデンテラス
そして,浄妙寺(鎌倉五山のひとつ)の境内の上にある,石窯ガーデンテラス。
屋外で景色を眺めながら,鎌倉野菜や窯焼きのパンが味わえるとあって,人気の食事スポットです。
少し早めに昼食。
快適なひと時を約束してくれます。
屋外で景色を眺めながら,鎌倉野菜や窯焼きのパンが味わえるとあって,人気の食事スポットです。
少し早めに昼食。
快適なひと時を約束してくれます。
十二所神社
さて,十分に昼食をとった後は,少し距離を歩きましょう。
浄明寺のバス停から,青砥橋,泉水橋を経て歩くこと20分ほどで十二所地区に至ります。ここは鎌倉市の東端です。横浜市(朝比奈町)と隣接しています。
ここで訪ねたのが十二所神社。熊野権現を主体とする神社ですが,おそらくは明治のころの統合されたと思しき旧字の祠がいくつかあります。なお,そのうちのひとつは,近いうちに「鶴岡八幡宮のルーツを旅して」シリーズ最終回にてレポートすると思います。
12月7日,境内の銀杏の木は散っていましたが,地面は黄葉のじゅうたんでした。
これより東は一方は鎌倉霊園(太刀洗)の峠,もう一方は朝夷奈切通しで横浜市へと通じていますが,自分は朝夷奈切通しへ向かいました。
浄明寺のバス停から,青砥橋,泉水橋を経て歩くこと20分ほどで十二所地区に至ります。ここは鎌倉市の東端です。横浜市(朝比奈町)と隣接しています。
ここで訪ねたのが十二所神社。熊野権現を主体とする神社ですが,おそらくは明治のころの統合されたと思しき旧字の祠がいくつかあります。なお,そのうちのひとつは,近いうちに「鶴岡八幡宮のルーツを旅して」シリーズ最終回にてレポートすると思います。
12月7日,境内の銀杏の木は散っていましたが,地面は黄葉のじゅうたんでした。
これより東は一方は鎌倉霊園(太刀洗)の峠,もう一方は朝夷奈切通しで横浜市へと通じていますが,自分は朝夷奈切通しへ向かいました。
朝夷奈切通し
十二所神社から歩くこと500メートルほどで朝夷奈切通しの入り口(鎌倉口)へと至ります。次第に山深くなってきます。
朝夷奈切通しは12月7日とその翌日8日の二回に分けて歩きました。両日とも,紅葉が見事でした。
急峻な崖が両側に迫るこの切通しは,鎌倉七口の中でも最も険しく長い道のりだそうです。そのため,現在はちょっとしたハイキングコースになっています。
1241年,鎌倉幕府第3代執権,北条泰時が自ら陣頭指揮して山を切り開いて造ったという切通し。六浦・金沢(現横浜市)と鎌倉を結ぶ重要な通路として,鎌倉時代以降も鎌倉から東京湾岸への交通路として重要視され,昭和31年に朝比奈峠の道路が開通するまで実用されていたそうです。
全長1キロあまりの朝夷奈切通し。西半分が鎌倉市で,東半分が横浜市になります。12月7日は鎌倉市側のみを歩いて引き返しましたが,翌8日は東半分の横浜市側まで切通しを歩ききって,朝比奈のバス停(横浜市朝比奈町)まで至りました。
朝夷奈切通しは12月7日とその翌日8日の二回に分けて歩きました。両日とも,紅葉が見事でした。
急峻な崖が両側に迫るこの切通しは,鎌倉七口の中でも最も険しく長い道のりだそうです。そのため,現在はちょっとしたハイキングコースになっています。
1241年,鎌倉幕府第3代執権,北条泰時が自ら陣頭指揮して山を切り開いて造ったという切通し。六浦・金沢(現横浜市)と鎌倉を結ぶ重要な通路として,鎌倉時代以降も鎌倉から東京湾岸への交通路として重要視され,昭和31年に朝比奈峠の道路が開通するまで実用されていたそうです。
全長1キロあまりの朝夷奈切通し。西半分が鎌倉市で,東半分が横浜市になります。12月7日は鎌倉市側のみを歩いて引き返しましたが,翌8日は東半分の横浜市側まで切通しを歩ききって,朝比奈のバス停(横浜市朝比奈町)まで至りました。
金沢街道の果て
12月8日,金沢八景。
朝夷奈切通しを歩いた後,バスで六浦を経て金沢八景の海沿いに来ていました。
現在では,横浜市金沢区に属するこの地域は,鎌倉時代には鎌倉府内に属し,金沢北条氏が管轄していました。そのため,称名寺や富岡八幡宮,瀬戸神社など鎌倉幕府と関係の深い寺社が点在しています。
12月8日,金沢八景駅に程近い,瀬戸神社を参拝して鎌倉へと戻りました。
金沢の寺社については,いずれ鎌倉との関連で詳しくここでレポートすることになるでしょう。今回の【Photo Review 2008】紅葉の金沢街道は,その前座のレポートということで今年はこのくらいで失礼いたします。
旧年中はどうもありがとうございました。
2008年大晦日 KI
(追伸)
本134号が今年最後の鎌倉レポートになります。年末のレポートなのですが,大晦日の記事セットアップということで,ひょっとすると年が明けてからリリースされてしまうかもしれませんが,どうぞよろしくお願いいたします。
・実際に訪れた日;2008年11月30日,12月7日,12月8日
・記事セットアップ;2008年12月31日 by KI
朝夷奈切通しを歩いた後,バスで六浦を経て金沢八景の海沿いに来ていました。
現在では,横浜市金沢区に属するこの地域は,鎌倉時代には鎌倉府内に属し,金沢北条氏が管轄していました。そのため,称名寺や富岡八幡宮,瀬戸神社など鎌倉幕府と関係の深い寺社が点在しています。
12月8日,金沢八景駅に程近い,瀬戸神社を参拝して鎌倉へと戻りました。
金沢の寺社については,いずれ鎌倉との関連で詳しくここでレポートすることになるでしょう。今回の【Photo Review 2008】紅葉の金沢街道は,その前座のレポートということで今年はこのくらいで失礼いたします。
旧年中はどうもありがとうございました。
2008年大晦日 KI
(追伸)
本134号が今年最後の鎌倉レポートになります。年末のレポートなのですが,大晦日の記事セットアップということで,ひょっとすると年が明けてからリリースされてしまうかもしれませんが,どうぞよろしくお願いいたします。
・実際に訪れた日;2008年11月30日,12月7日,12月8日
・記事セットアップ;2008年12月31日 by KI