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KIさんの鎌倉リポート No.137(2009年1月15日)


No.136
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鶴岡八幡宮のルーツを旅して(その13)〜灯台下暗し,十二所神社の八幡様

皆さん,

新年あけまして おめでとうございます。

2009年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

                  2009年1月吉日

                  KI & あん小


新春迎えた鶴岡八幡宮にて

新春迎えた鶴岡八幡宮



若宮大路が途切れる三の鳥居 (2009年1月10日)



新春のときだけ設置される賽銭箱から本殿をのぞみます。(2009年1月10日)
KIです。

今回は,自分がレポートします。
「鶴岡八幡宮のルーツを旅して」シリーズ13回目。昨年5月以来の久しぶりの更新です。
 金沢街道沿いにも八幡様が祭られているのを見つけましたので報告します。

本題に入る前に,新春の鶴岡八幡宮境内のスナップを4枚ほどご鑑賞下さい。

まずは八幡宮の参道入り口,三の鳥居あたりの写真からどうぞ。



舞殿ごしに見えてくるものは・・・



午前9時の太鼓の音とともに一斉に飛び立ちました。
参道を進んで舞殿までやってきました。
 写真ばかりで書くことがないと空白が目立ちますね。せっかくなので鶴岡八幡宮の御由緒について,おさらいしておきましょう。

(御祭神)
・ホムタワケノミコト(応神天皇)
・比売神
・オキナガタラシヒメノミコト(神宮皇后)

(歴史)
・1063年,源頼義公が由比郷(現,材木座)に石清水八幡を分霊勧請→これが元鶴岡八幡すなわち由比若宮。

・1180年,源頼朝公が現在の地に遷座するが,社殿焼失。

・1191年,再建し改めて石清水八幡を分霊勧請→このとき現在のような上宮と下宮の体制になる。

・1208年,神宮寺を併設。

・1870年頃,廃仏毀釈で仏堂等破壊される。鶴岡八幡宮の場合は,神主に鞍替えした社僧が主体になって廃仏毀釈を推進した。


鎌倉市にある八幡宮といえば・・・



1063年創建の由比若宮(元鶴岡八幡宮)
さて,鎌倉市内にある八幡宮といえば,小町の大きな鶴岡八幡宮と,その前身で材木座に鎮座する元鶴岡八幡宮なのですが・・・
 ずっと自分もそう思ってきたのですが,実は金沢街道にもあるのを2008年の秋に見つけてしまった次第。

その鎌倉市第三の八幡様を章を改めてご紹介いたしましょう。
 

十二所神社の八幡様



黄葉のじゅうたんに佇む十二所神社本殿


その八幡様は,横浜市との境界に程近い十二所神社の境内にありました。

時は銀杏散る12月7日,境内は黄色い落ち葉で覆いつくされていました。十二所神社は熊野権現が主祭神,境内の中央にある最も大きな本殿にお祭りされています。それ以外にも三柱の神様が合祀されており,そのひとつに宇佐八幡があります。疱瘡神,宇佐八幡,地主神の三柱はそれぞれ境内に散らばっている小さな祠に祭られています。



右側の祠が宇佐八幡。


大町の八雲神社の前にて(12月31日)

宇佐八幡は岩にうがたれた窟に祭られています(左写真)。窟にふたつ石の祠が並んでいてその右の祠におわす御神体に「宇佐八幡」と記されていました。

宇佐八幡とは言うまでもなく大分県の宇佐神宮のこと。全国4万余の八幡宮の頂点に君臨する総本社です。

 去るレポート114号(2008年10月26日)で,奥さんが“右側のお堂にダンナが目の色変えていました”とコメントしましたが,見つけたときには確かに驚き,いったいどんな由来があるのだろうと興味津々になりました。
 後日,調べてみたものの手がかりも得られず,クリスマス近づく頃に鎌倉市役所に問い合わせると,十二所神社宮司を兼任しておられる八雲神社(鎌倉市大町)の宮司さんに聞くのがよいと紹介されました。

そして2008年大晦日,八雲神社を訪れました(右写真)。

「おそらく江戸時代以前に集落にあった祠を十二所神社境内に移したものでしょうね。」

宮司さんによれば,由来に関する記録や言い伝えも何もないとのこと。明治維新より前の頃に集落で祭られていたものが明治時代に定められた一村一社の制度に従って,十二所神社境内に移築されたのだろうということでした。古代や中世のころには,支配階層の人が主になって分霊勧請という形で神社を建立するというスタイルがありましたが,近世になると一般庶民レベルでも神社を住居近くに造るようになり,特に江戸時代には,村の代表者が有名神社に参拝受領した御札を持ち帰り,それを祭る祠を村落に建てるということがよく行われたそうです(註)。

「十二所神社の宇佐八幡もそのようにして出来上がったのかもしれません。可能性としてはそれが一番高いでしょう。」

権門階層による分霊勧請であれば社伝として記録に残ることが多いのですが,民間レベルでの造営だと,ほとんどの場合は記録に残ることはなく,当事者やその近親者が死んでしまえば事情一切は忘れ去られるといったわけです。
 ただ,鶴岡八幡宮という大きな八幡宮が鎮座する鎌倉の地で,わざわざ八幡宮筆頭の「宇佐八幡」を祭ったのには,発起人の気骨なり,特別な事由なりがあったのではと感じられなくもないですね,と宮司さんは締めくくられました。

十二所神社境内に鎮座する宇佐八幡。
 鶴岡八幡宮と直接的な関係はなさそうなので,今回のネタは厳密には「鶴岡八幡宮のルーツ」というテーマに合致しないのですが,鎌倉市第三の八幡宮ということでご紹介させていただきました。
 シリーズ初回から12回まではすべて王侯貴族クラスの八幡神崇拝のお話でしたが,今回は民衆レベルでの八幡神崇拝のお話。如何だったでしょうか。
 もしかすると,この手の八幡様が他にも鎌倉市内に鎮座しているかもしれませんね。鎌倉市で第四,第五の八幡様をご存知,あるいは見つけた方がおられましたら,よかったら教えてくださいませ。

   2009年1月15日 KI






(追伸)
次回は,金沢街道をさらに東へ,朝比奈峠を越えた金沢の地。十日戎の笹を手に,鶴岡八幡宮と関係の深い神社を参拝した時のお話をいたします。ちなみに次回がシリーズ最終回の予定。


(作成データ)
・実際に鎌倉を訪れた日:2008年12月7日(十二所神社),12月31日(大町・材木座),2009年1月10日(鶴岡八幡宮)
・記事セットアップ;2009年1月15日 by KI
・当該神社あるいは管轄機関に写真掲載等の了解を得たうえでレポート作成しています。(※写真掲載の了解先:鶴岡八幡宮と由比若宮の写真は八幡宮社務所,十二所神社は鎌倉市役所と八雲神社)

(註)場合によっては御札の受領等がなくても祠を建てて信仰する,すなわち崇敬したい神の祠を勝手に建てて拝むというケースもあったらしい。

【おまけ】 2009年の初詣は・・・

ところで,この年末年始は自分たち夫婦はそれぞれの実家に,奥さんは沖縄へ,自分は京都へと帰省しました。このお正月,それぞれの帰省先で八幡宮を参拝してきました。

奥さんは那覇市の安里八幡宮,自分は奈良市の手向山八幡宮へと初詣した次第。

手向山八幡宮は749年,東大寺造営に際して宇佐八幡を守護神として分霊勧請したのが始まり。鶴岡八幡宮の親元である石清水八幡にとっては110年先輩の兄のような存在。なので,手向山八幡は鶴岡八幡にとっては叔父さんといったところでしょうか。
 一方,安里八幡宮は1466年,時の琉球王が喜界島遠征に際して建立した神社ですが勧請元は不明。祭神に玉依姫が合祀されているので,筑紫か南九州あたりの八幡宮との関連性も示唆されます。鶴岡八幡宮と直接的なタテの関係はなさそうですが,沖縄の安里と鎌倉の鶴岡はお互い遠く離れていても,ともに宇佐八幡の流れを汲んだ親族同士であるのは確かです。

(※写真掲載の了解先:安里八幡宮の写真は那覇市の波上宮,手向山八幡宮は東大寺)



あん小が撮った安里八幡宮(2009年1月7日,沖縄県那覇市)


KIが撮った手向山八幡宮。上が社殿の屋根で,下の写真が社殿前にある鳩の絵の灯篭(2009年1月4日,奈良県奈良市)


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