鎌倉好き集まれ!KIさんの鎌倉リポート・第163号(2009年7月26日)
夏!湘南鎌倉へ(2) ・・・江ノ島と遊行の盆踊り
あん小でございます(´▽`)
前号からの続きです・・・
・・・
・・・といっても、もう8月6日。前号から1週間も水があいてしまっていますが、実は7月末から一昨日まで、北九州をずっと旅行していました。
なので、遅くなりましたが、今回は前回のつづき、7月26日に鎌倉八幡様から長谷寺まで行ったあと、私は真夏の江ノ島へ行きました。
前号からの続きです・・・
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・・・といっても、もう8月6日。前号から1週間も水があいてしまっていますが、実は7月末から一昨日まで、北九州をずっと旅行していました。
なので、遅くなりましたが、今回は前回のつづき、7月26日に鎌倉八幡様から長谷寺まで行ったあと、私は真夏の江ノ島へ行きました。
江ノ島は暑かったけれど、すっごく景色がすばらしかったです!
頂上にはいろいろなお店があってにぎわっていました。
歩きつかれたので、私はかき氷の店へ。
冷たぁ~くて、おいしいです
午後3時半、そろそろダンナと合流、
藤沢駅へ行きました。
藤沢駅では、‘暑かったけれどスイレンの花が大変きれいだった’と町田から到着したダンナと落ち合って、遊行寺というところへ、少し(いえ、相当に)早い盆踊りへ一緒に。
ここでレポーター交代、その様子はダンナにレポしてもらいましょう。
歩きつかれたので、私はかき氷の店へ。
冷たぁ~くて、おいしいです
午後3時半、そろそろダンナと合流、
藤沢駅へ行きました。
藤沢駅では、‘暑かったけれどスイレンの花が大変きれいだった’と町田から到着したダンナと落ち合って、遊行寺というところへ、少し(いえ、相当に)早い盆踊りへ一緒に。
ここでレポーター交代、その様子はダンナにレポしてもらいましょう。
鎌倉街道,遊行の盆(藤沢市)
KIです。
7月26日の夕方17時半から,藤沢市の遊行寺(清浄光寺)で『遊行の盆2009』が開催されました。
ここ遊行寺は旧鎌倉街道の途上に位置していて,鎌倉時代の末期に創建された時宗の寺院ですが,夏の『遊行の盆』は今年で4年目のまだ新しい盆踊り行事になります。
こちらの盆踊りで特筆すべきは,踊り念仏が行われること。時宗の祖とされる,一遍上人(1239~1289年)は踊り念仏で全国を行脚したとされ,これが現在,よく見る盆踊りの起源ではないかといわれています。
当日,遊行寺の境内では普通の盆踊りの前に,遊行寺に伝わる踊り念仏が披露されました(下の写真3枚参照)。
7月26日の夕方17時半から,藤沢市の遊行寺(清浄光寺)で『遊行の盆2009』が開催されました。
ここ遊行寺は旧鎌倉街道の途上に位置していて,鎌倉時代の末期に創建された時宗の寺院ですが,夏の『遊行の盆』は今年で4年目のまだ新しい盆踊り行事になります。
こちらの盆踊りで特筆すべきは,踊り念仏が行われること。時宗の祖とされる,一遍上人(1239~1289年)は踊り念仏で全国を行脚したとされ,これが現在,よく見る盆踊りの起源ではないかといわれています。
当日,遊行寺の境内では普通の盆踊りの前に,遊行寺に伝わる踊り念仏が披露されました(下の写真3枚参照)。
暮色の境内には屋台がいくつも立ち並び,大勢の人が中央に組まれた櫓で行われる念仏踊りを見守っていました。
南無阿弥陀仏・・・
円陣を組んだ踊り手が,太鼓の音頭取りと念仏歌に合わせて,鉦を打ちながら軽快にステップを踏みます。
一遍上人は1279年に信濃の国で踊り念仏を始め,翌年には今の岩手県あたりから茨城県あたりにかけて奥州を広く行脚しました。1282年には鎌倉に入ろうとしましたが,門前払いに遭って鎌倉で布教することはできませんでした。その後は亡くなるまで西日本の各地で広く踊り念仏をしながら布教しました。
生涯,特定の場所に留まることなく,東は陸奥から西は安芸あたりまで行脚し続けて,民間に踊り念仏を広めて歩いた一遍上人の活動が,現在,全国的な夏の風物詩,盆踊りとなって結実しているのかもしれませんね。
また,踊り念仏は民間のみならず寺院側でも多くの後継者によって受け継がれていきました。殊,白河の国(今の福島県),いわきでは,江戸時代までに,太鼓を激しく打ち踊る,いわき独特の『じゃんがら念仏踊り』が成立し,同地出身の袋中上人(1552~1639年)が琉球に渡った際に伝えた『じゃんがら念仏踊り』が,現地の芸能と結びついて,沖縄独自の旧盆行事『エイサー』が生まれたのだろうといわれています。
この湘南に伝わる念仏踊りも時間を超え,空間を超えて,さまざまなものとグローバルに結びついているのですね。
南無阿弥陀仏・・・
円陣を組んだ踊り手が,太鼓の音頭取りと念仏歌に合わせて,鉦を打ちながら軽快にステップを踏みます。
一遍上人は1279年に信濃の国で踊り念仏を始め,翌年には今の岩手県あたりから茨城県あたりにかけて奥州を広く行脚しました。1282年には鎌倉に入ろうとしましたが,門前払いに遭って鎌倉で布教することはできませんでした。その後は亡くなるまで西日本の各地で広く踊り念仏をしながら布教しました。
生涯,特定の場所に留まることなく,東は陸奥から西は安芸あたりまで行脚し続けて,民間に踊り念仏を広めて歩いた一遍上人の活動が,現在,全国的な夏の風物詩,盆踊りとなって結実しているのかもしれませんね。
また,踊り念仏は民間のみならず寺院側でも多くの後継者によって受け継がれていきました。殊,白河の国(今の福島県),いわきでは,江戸時代までに,太鼓を激しく打ち踊る,いわき独特の『じゃんがら念仏踊り』が成立し,同地出身の袋中上人(1552~1639年)が琉球に渡った際に伝えた『じゃんがら念仏踊り』が,現地の芸能と結びついて,沖縄独自の旧盆行事『エイサー』が生まれたのだろうといわれています。
この湘南に伝わる念仏踊りも時間を超え,空間を超えて,さまざまなものとグローバルに結びついているのですね。
(Photoes)
・Enoshima Photoes were taken by Ann.
・Yu-Gyo Bon dance & Karasawa shirine Photoes were taken by K I.