トップ鎌倉好き集まれ!KIさんトップ 第175号 


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KIさんの鎌倉リポート No.175(2009年9月15日)


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流鏑馬神事と頼朝公

源頼朝公旗揚げの地,三嶋大社での流鏑馬神事



【三嶋大社の本殿】



【三嶋大社の柱廊】
KIです。今回は自分がレポートします。

鎌倉ではちょうど鶴岡八幡宮の例大祭の最中ですね。この例大祭の時期に合わせて,今の鶴岡八幡宮の実質的な創建者であり,鎌倉の都を開いた源頼朝公についてお話したいと思います。
 今回は,伊豆に流されていた頼朝公が挙兵して最初の戦いを経てから鎌倉入りするまでを,自分が過去に撮影した写真と一緒に簡単に紹介したいと思います。

さて,平家によって伊豆の蛭ヶ小島に流されていた頼朝公が源氏再興の挙兵をしたのが1180年の旧暦8月。その数ヶ月前に以仁王の令旨を受け取っていたとされています。
 挙兵にあたって,頼朝公が戦勝祈願したのが,左の写真にある三嶋大社です。
 流人生活を送っていた頼朝公はこの神社を日頃から厚く崇敬し,のちに鎌倉に武家政権を樹立したときには多大な寄進等したそうです。その後,三嶋大社は頼朝公ゆかりの神社として,武家の崇敬を受け,今に至るまでおおむね順調に「大社」として発展存続しました。
 三島駅から歩くこと15分,市街の一角を占める大きな境内は多くの人々で賑わっていました。また,参道の末にある立派な舞殿,石段こそないものの舞殿の後ろに鎮座する本殿といった配置は鎌倉の鶴岡八幡宮を彷彿させます。



【三嶋大社例大祭の流鏑馬神事(2009年8月17日)】
自分たちが参拝した8月17日はちょうど三嶋大社の例大祭。馬場では流鏑馬が奉納されました。
 
合図とともに疾走する人馬,放たれる矢,炸裂する的

一瞬の出来事に歓声がどっとあがります。三嶋大社の流鏑馬神事は1180年8月(旧暦)に頼朝公が平氏政権打倒の戦勝祈願として奉納したのが始まりだといわれています。現在は毎年「8月17日」に例大祭の一環として流鏑馬を奉納しているのです。

以下に今年8月17日の流鏑馬神事の写真を数枚ご紹介いたします。



【例大祭奉納は武田流の流鏑馬】


【矢が的中し,カワラケが割れました】






石橋山,逃れて真鶴の海へ・・・



【初秋の石橋山(2008年9月15日)】



【頼朝公,船出の岩海岸(2008年9月15日)】
三嶋大社に戦勝祈願し,緒戦で平家方の山木兼隆を奇襲・殺害した頼朝公とその軍勢は,石橋山(現,小田原市)で平家方と干かを交えました。1180年8月17日のことでした。そう,三嶋の流鏑馬神事の日取りは石橋山の戦いに合わせているのです。しかしながら,この戦いは頼朝軍勢300名 vs 平家方軍勢3000名と多勢に負勢。頼朝公はあえなく敗れ去ります。
 石橋山の古戦場を訪れたのは去る2008年の9月半ば。JR早川駅と根府川駅のちょうど中間あたりにあり,一帯はミカン畑の丘陵地。戦死した頼朝側の部将,佐奈田与一をまつる佐奈田霊社からは太平洋を一望できます。時折往来する東海道線が静けさを破る以外は殆ど人影もない場所でした。

同じ日,真鶴町の岩海岸も訪れました(左写真)。ここは石橋山から落ち延びた頼朝公の一行が船出した場所。夏休み中は海水浴場として賑わうというこの海岸も,秋には静かな漁港の海。曇天のせいもあってか人影もまばらでした。

源頼朝公船出の地

堤防脇の草むらに石碑がたたずんでいます。
 1180年8月28日,わずかな供と一緒にこの岩海岸から船出した頼朝公は漂流中に三浦氏の水軍と合流し,房総半島の竜島海岸(館山付近)に上陸しました。
 頼朝公は房総で多くの反平家勢力を糾合し,旧の10月6日,大軍を率いて鎌倉の地に入りました。

そして鎌倉



【ピンクの花が咲く由比若宮(2009年9月12日)】


【例大祭を控えた朝,鶴岡八幡宮(2009年9月12日)】

鎌倉は,頼朝公の祖先である源頼義公と源義家公の父子が11世紀に坂東支配の拠点を置いた地なのです。

つい数日前,材木座にある由比若宮(元鶴岡八幡)を訪れたときには鳥居の脇のピンクのタチアオイの花が見ごろでした。なお,鎌倉入りを果たした頼朝公がこの神社を現在の場所(雪ノ下)に鶴岡八幡を遷座し新しい都の中心にふさわしく拡張整備したことは以前のレポートで何度か述べています。

そして9月12日の土曜日の朝,例大祭を控えた鶴岡八幡宮の境内を訪れました。

やぶさめの馬場,観葉植物の棚,宝物殿での古神宝特別公開・・・

まつり本番に向けて着々と準備が進んでいるようでした。
 毎年,9月14〜16日の3日間にわたって行われる鶴岡八幡宮の例大祭。かつて「放生会」と呼ばれ,1187年の旧暦8月に源頼朝公の命令によって始まったものだそうです。流鏑馬神事は「放生会」開始当初から行われていたらしく,頼朝公の死後,百年近く経ってから鎌倉を訪れた二条の尼も当時すでに流鏑馬が行われていたことをを著作「とはずがたり」の中で述べています。



【鶴岡八幡宮,舞殿(2009年9月12日)】



【夕焼けの源氏山に鎮座する頼朝公の銅像】
また鎌倉の新八幡(やはた)の放生会といふことあれば、事の有様もゆかしくて、立ち出でて みれば・・・・・・(中略)・・・流鏑馬,いしいしのまつりごとの作法有様は・・・ (以上,とはずがたり巻4「小町殿と交通, 病臥,新八幡放生会」より引用)



鶴岡八幡宮を訪れた日の夕刻,源氏山へと登りました。幸い天候も良く,夕焼け空を悠然と眺める頼朝公に拝謁することができました。

さて,このレポートがリリースされるころには鶴岡八幡宮から神幸の神輿が出御しているころでしょうか。

頼朝公もまた源氏山の山頂から,かつて自分が始めた放生会(例大祭)が800年間,連綿と現在にまで受け継がれているのを見届けているのかもしれませんね。





  (2009年9月15日, KI)



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