鎌倉好き集まれ!KIさんの鎌倉リポート・第54号(2007年7月10日)

アジサイたずねて九百里

雨の亀ヶ谷切通しにて(6月24日撮影)

晴天の日には湘南海岸を歩いていた自分ですが,雨天のときには鎌倉の内陸でアジサイ見物を楽しんでいました。今回,鎌倉のアジサイ,そして6~7月にかけて巡った沖縄と信州のアジサイも一緒にレビュー形式で紹介したいと思います。

【扇ガ谷アジサイロード】
 6月24日に,北鎌倉から切通しを通って海蔵寺・源氏山方面を散策しました。
 当日は弱い雨。
 人,人,人でごった返す北鎌倉駅周辺とは裏腹に,昼前の亀ヶ谷切通しは人影もまばらでした。ここから海蔵寺へと向かう道中,道の両脇にはアジサイがちらほらと。潤い豊かな花輪が目を楽しませてくれます。海蔵寺も意外と人影まばらで,色とりどりの花々を落ち着いて楽しむことができました。
 この界隈は,長谷寺や明月院のような名所ではないけれど,それなりにアジサイが咲き誇っていて,若夏のうるおい染みを感じることができました。

源氏山。頼朝公銅像前にはヤマアジサイが満開(6月24日撮影)

海蔵寺からゆるやかな坂道をゆっくり歩き,デコボコ岩の化粧坂を登りつめると源氏山に到着です。雨天のせいでしょうか,頼朝公の銅像が鎮座する公園にはほとんど人影がありませんでした。

観光雑誌にも必ず紹介されるスポットなのだしもう少し賑わっていてもいいはずなのに・・・

寂しげに曇天の森を見つめる頼朝公。そのお膝元にもちゃんとあります,白いヤマアジサイ。白旗ならぬ,小さい白い花々がモンシロチョウの大群のように源氏の御大将を引き立てます。

‘花の白 佐殿(すけどの)にこそ つきづきしけれ’
【沖縄のアジサイ】
ところ変わって,今度は沖縄。6月初頭,鎌倉から南西にはるか1600km離れた沖縄であじさいを見物して参りました。
 沖縄本島の北部,森深いヤンバルの本部町,よへなアジサイ園です。ここにはなんと7000株ものアジサイが山の斜面を覆い尽くしています。
 ここのアジサイはとにかくパワフル。花の青色は強烈で茎は木枝のように褐色で枝腰が丈夫。曇天に突き抜けるようにニョキニョキと伸びた先端に大きな白やブルーのアジサイの花輪が付いているのです!黄緑色のしなやかな茎に花輪がやや垂れ気味に乗っかっている鎌倉のアジサイとは一味違うところですね。
 巨大なヘゴシダやパパイヤの木と競うように咲き乱れるアジサイの群れを前に,さすが南国沖縄のアジサイはすごい迫力だなぁ~と思ってしまいそうですが・・・
意外や意外,本土のヒメアジサイや西洋アジサイと同じ種類なんです。

沖縄ではアジサイと亜熱帯植物が競演(沖縄県本部町,よへなアジサイ園にて)

園のオーナーで,当年90を迎える饒平名ウトさんが約30年前に県外から仕入れたアジサイの苗木を植えたのが始まり。以後,毎年植え続け,育て続け,広大なアジサイ園になったそうです。今や沖縄を代表するアジサイ名所というだけでなく,全国でも有数のレベルに達しているはずです。
 本土生まれのアジサイ達も沖縄の土地で育つうちにすっかり南国色に染まっているんですね。
「環境は人を変える」という言葉があるけれど,アジサイもまた然り
 進学や就職などで故郷を出て異郷で新しい人生をスタートする人が少なくない今の時代,生まれた土地を離れても今いる土地に根付いてパワフルに育つアジサイの姿には,自分たち人間も見るべきところがあるのかもしれないですね。

‘倭紫陽花や 南風に藍染みてぃ 天向かてぃ語れ 婆前ぬ想い’
(やまとぅあじさいや はえにあいしみてぃ てぃんむかてぃかたれ はあめぇぬうむぃ)

 曇天が薄く染まる頃,県外から来たアジサイ達が,ウトおばぁの愛情に支えられて立派な「沖縄のアジサイ」になっているのを見届けてアジサイ園を後にしました。

沖縄育ちのアジサイは強烈な発色と枝腰の丈夫さが目立ちます(沖縄県本部町,よへなアジサイ園にて)

信州ではアジサイはまだまだこれから(7月1日,上田市塩田平にて)

【信州のアジサイ】

そして日が流れ,月も変わって7月1日。今度は信州です(^^;)

鎌倉から北に行くこと200km,長野県上田市の塩田平へとやって参りました。そう,昨年11月に紹介した「信州の鎌倉」です(レポートNo.25)。

昨秋,黄葉がまぶしかった塩田城跡は深々とした緑の森林に覆われています。

かつて北条氏の城砦が控えていた山道では,白いアジサイが静かにほころび始めていました。

時期ともなれば道しるべのように山道の両脇をずっと咲き並ぶのでしょうね。
 

スミレ色のヤマアジサイ(7月1日,上田市塩田平にて)

それに青いヤマアジサイもあり中には見ごろを迎えている花も。

同じ青でも先ほどの沖縄のアジサイの青とは全く風情が異なりました。

誰もいない暗い山林にひっそりと咲くその姿は「可憐」というよりは「幽玄」という言葉が似合いそうです。

かつて「いざ鎌倉」とここを駆け抜けた武者たちの菩提を今も弔い続けているようでもありました。

そう,信濃守護の北条国時が鎌倉へ死出の出陣を飾ったのも674年前のちょうどこのくらいの季節でした。


‘猛者どもの 行方教へよ 山紫陽花 吾も向かはむ 鎌倉の道’
【再び鎌倉】

そして戻ってきました,鎌倉に。

7月になり,ようやくに梅雨らしい時節柄になりましたね。

でも,鎌倉ではアジサイはいよいよ終盤。遅すぎた穀雨を待ちかねて,アジサイの花弁が次々に土へと還っていくのでしょうね。

そういえば夜桜ならぬ夜紫陽花はまだ見たことがなかったなぁ・・・

日没後の江ノ電由比ヶ浜駅。まだ何とかアジサイは健在でした。終わりゆく若夏の風物を夜の江ノ電とともにしっかり目とフィルムに焼き付けました。

‘火明り(ほあかり)や 黄泉に青きを 浮きみせよ 変はらぬ麗姿 しばし留めむ’





7月,沖縄ではとっくにアジサイの花は散り,鎌倉でもちょうど終盤ですが,信州では7月中旬の見頃に向けて次々にアジサイが花開いていきます。
                          2007年7月10日 K.I.

去りゆく夜光列車とアジサイを見送りました(江ノ電由比ガ浜駅にて)