鎌倉好き集まれ!KIさんの鎌倉リポート・第88号(2008年5月9日)

鶴岡八幡宮のルーツを旅して(その11)~宇佐神宮の桜花祭にて

桜花祭での巫女神楽『豊栄の舞』

今年もゴールデンウィークが終わりましたね。晴天にも恵まれ,休暇を満喫した方も多いのではないでしょうか。ちなみに自分は関西の実家に戻っている以外は,カメラと会社の宿題を抱えて鎌倉を訪れていました。

さて,今回は,鎌倉の鶴岡八幡宮の本家本元である宇佐神宮の旅の続編です。宇佐神宮で催行された『桜花祭』をレポートします。
 4月10日,午前10時。境内のぶらりと散策した自分は,上宮本殿へと戻ってまいりました。
「すみません,桜花祭はまだ始まっていないんでしょうか」
「間もなく始まるところですよ。今,神職が控えの間に集まっているところです」

不気味なほど静寂な境内で,巫女さんに教えてもらい,拝殿の前で待っていると,

ズダァーーン! ダァーーン! ダァーーン! ダァーーーン!

文字通り天地を貫くようなものすごい大音声。

上宮本殿の柱廊,神職の先導で権宮司さんがお出まし

続いて禰宜中がお出まし

打ち鳴らされたのは直径3メートルはあろうかというほどの大太鼓。
「祭儀の合図です。もうすぐ神職が参内いたしますよ」
 白い袖に片手を添えて,巫女さんが手を差し伸べる三の御殿から中の柱廊を覗き見ると,色とりどりの装束に身を固めた男女の神官が足早に音ひとつ立てずに進み出てきました。
 
?先頭の女性が神楽を舞う巫女さんなのかな。だとすれば鶴岡八幡宮の巫女とはだいぶ服装がちがうな・・・”

素人の愚かな憶測はその直後に見事に外れました。

「あの先頭の御方が当神宮の権宮司さまでいらっしゃいますよ」

権宮司さんが祝詞を奉ります

祝詞を終え戻ります

宇佐神宮のナンバー2,権宮司(ごんぐうじ)様だったのですね。神社で一番偉いのが「宮司」でその次に偉いのが「権宮司」。会社でいえば副社長といったところでしょうか。
 神職一同,二の御殿,すなわち比売大神の御神前に並んで座ると,赤装束の権宮司さんが神前に昇り進み,尺を横に伏して厳かに二拝し祝詞を奉ります。

か け ま く も ・・・

凛とした声が広い神殿いっぱいに響き渡りました。

そして,再び二拝の後,四拍手。


パン, パン, パン, パン 

一拝して上座を立ち,階段を下りて元の場所へと戻ります。

巫女さんが桜の花枝を手に柱廊を進みます

豊栄(とよさか)の舞

続いて,巫女神楽。

鶴岡八幡宮でもよく見かける「千早」という薄い羽衣のような打掛を羽織った巫女さんが単独で神前へと進み出ました。

つちにこぼれし草のみの     芽生えて伸びてうるわしく

春秋飾る花見れば      神の恵みの尊しや                  

  
ここ大分県では今が盛りのソメイヨシノの枝を手に優雅に舞う「豊栄の舞」は祝賀の神楽。古来からこの地を守り繁栄をもたらしてきた比売大神(宗像三女神)に春の訪れを感謝し,喜びの気持ちを表しているといったところでしょうか。

さて,今回もまたここで質問で~す。
「宇佐神宮で一番偉い神様は一の御殿にいる応神天皇のはずなのに,どうして応神天皇を差し置いて二の御殿の比売大神の神前で神事を行うのですか?」

う~ん,鋭い質問ですね。まあ,「応神天皇や神功皇后を差し置いて」というわけじゃないんでしょうけれど,実は比売大神がおわす二の御殿は本殿の中央に位置し両脇の2神殿に比べても最も大きく造られています。確かに今回の桜花祭も二の御殿の神前で行われているのです。
 前回レポートで簡単に言及しましたが,どうやらここらで二の御殿に祭られている比売大神こと宗像三女神のことを少し詳しく話さなければなりません。
 記紀によれば,宗像三女神は,スサノオノミコトが,高天原で姉のアマテラスとウケヒ(誓約)のやりとりをした際に,彼の剣から生まれた3人の娘神であるとされています。具体的には多岐津媛(タギツヒメ),市杵嶋媛(イチキシマヒメ), 多紀理媛(タキリヒメ)の3人姉妹の女神です。福岡市の宗像大社では航海の神として崇敬されていることで有名で,もともとは古代に倭と大陸を往来した海人集団が信仰していた,神々だったろうといわれています。宗像三女神は,弥生時代以降,大陸から様々な文物が流入した北九州各地で,海上交易の神として祭られました。宇佐嶋でも,6世紀に応神天皇の神霊が八幡大神として降臨するはるかに以前から,この地の王族,宇佐氏(後に宇佐国造)によって宗像三女神の祭祀が行われていたのです。それが宇佐八幡の発足とともに二の御殿で祭られるようになりました。
 宇佐神宮の二の御殿が中央に位置し,主祭神の応神天皇の一の御殿よりも大きな神殿であるのは,神様としての格付けは応神天皇のほうが偉いけど,年代的には比売大神こと宗像三女神のほうがずっと先輩なのだという意味合いがあるのかもしれないですね(註1)。
 二の本殿の神前で奉納される「豊栄の舞」も,八幡大神ご顕現以前の祭祀の名残を彷彿させるものかもしれません。

鶴岡八幡宮,御鎮座記念祭の『宮人の舞』~レポートNo.29より

鶴岡八幡宮,婚儀での巫女神楽~レポートNo.62より

今回,紹介した宇佐神宮の「豊栄の舞」に限らず,全国各地どこの神社でも例祭,神事といえば必ず舞われるのが「神楽」です。
 神話では,アメノウズメが天岩戸の前で舞ったのが神楽の起源だとされています。岩戸神話が実際にあった史実だなんて考える人はたぶん殆どいないと思いますが,記紀に書かれたこの話は神楽の一側面をよく表しているのだと思います。
 その側面とは,歌や踊りで神様を招き寄せたり,もてなしたりするということ。

神楽は,古くは「神遊び」と呼ばれていて,こちらにお渡りになった神様を楽しませ,もてなすために舞い踊ったという意味合いがあったそうです。ちなみに日本本土では「神遊び」という言葉は殆どなくなっていますが,沖縄の伝統祭事には「カンアシビ」とか「カムナシビ」としてその言葉が今に残っています。
 上の2つの写真は以前のレポートで紹介した鶴岡八幡宮の巫女神楽。両方とも,祝詞でこちらにお招きした八幡大神を巫女が神楽を舞って神様をもてなしているという形式をとっていることは,以下のそれぞれのレポートでも述べたとおりです。

 ・レポートNo.29「御鎮座記念祭 ~冬の訪れを告げる祭事」(2006年12月22日)
 ・レポートNo.62「鶴岡八幡宮のゆうべ ~秋の婚儀に上古の昔を想ふ~」(2007年9月12日)

古代の神楽(吉野ヶ里遺跡にて)

現在の神楽は,作法一切に習熟した本職巫女が,神社のSOP(標準業務手順書)などに従って舞いを奉納するのでしょうが,古代の神楽は,神様を楽しませる舞いというだけにとどまらず,邪馬台国の卑弥呼のように特殊能力に秀でた巫女が神懸かりになって神の言葉を伝えたり,呪力で人々を加護するといった呪術的な側面もありました。
 神楽の「かぐら」という読み方は,古代の巫女(シャーマン)が神懸かりになるために依り代とした岩,すなわち神坐(カムクラ)が語源になっているのだそうです。
 今の神楽からは,神懸かりといったシャーマニズム的要素は殆ど消え去ってしまっていますが(註2),「かぐら」という呼び名にわずかに古代の名残をとどめているわけですね。

桜花祭が終わって

桜花祭が終わったのは,10時30分過ぎ。

神殿に再び「二拝・四拍手・一拝」して,神職中は控えの間へと退出していきました。
 30分あまりの神事でしたが,時間がピタッととまったように長く感じた30分でした。

「有意義な儀式を見学させてもらってありがとうございます。」

祭りが終わった後,巫女さんから宇佐神宮の由来についていくつか教えてもらえました。
 宇佐神宮の大宮司職は,古代から宇佐国造(宇佐氏)が代々継承しており,現在に至っているとのこと。現在,大宮司職を担っている到津家は,ウサツヒコノミコト(註3)を始祖とする宇佐国造の末裔。古墳時代以前から宇佐の祭祀を司ってきた家系だそうです。先ほど,祝詞をされていた権宮司さんは到津家の方で,宇佐国造と宇佐神宮の正当な後継者ということになります。

「もしや宇佐神宮って,女性の宮司さんが多かったんですか」
「いいえ,宇佐神宮の長い歴史の中でも初めてのことなんですよ」

巫女さんいわく,
 父で先代の大宮司さんが健康上の理由で引退後,男子の後継者がいなくなってしまい,今は娘である権宮司さんが宇佐神宮の経営を継いでいるとのこと。近いうちに正式に大宮司に就任しなければならないそうです(註4)

「たぶん古墳時代以前から続いていただろう家系の祭祀と家督を受け継ぐだなんてすごいプレッシャーかもしれないですねぇ。」
「そうですねぇ。私達にも想像がつきません。古い歴史と伝統の重みというのがきっとあるんだと思いますよ」

古から連綿と培われてきた宇佐神宮の広大な聖域。

ここに来れば,日本史2000年の営みと伝統が本当に身近に,生きたものとして肌身に感じることができます。(つづく)

                
2008年5月8日 K.I.









(註釈)

註1.「応神天皇と宗像三女神の関係について」
応神天皇すなわちホムタワケ大王(おおきみ)が北九州で生まれたという説を前号で紹介しましたが,それによればホムタワケ大王が生前中の北九州においても宗像三女神がさかんに崇拝されていたのだろうとされています。
 また,現在の八幡宮での祭り方は,主祭神の応神天皇を比売大神が女神の呪力で守護するという形式をあらわしているという説もあります。かつて,仏教伝来以前の古代の倭国では戦や政治などの実務を取り仕切る男性を女兄弟や一族の女性が呪力で守護するという考え方が信仰の基本となっていたそうで,八幡宮の応神天皇には必ず比売大神が合祀されているという形式はその古代の名残だという学説もあります。
 魏志倭人伝に見える,邪馬台国の卑弥呼と実際に政務を取った男弟の関係も同様のものだったろうと考えられており,ごく最近も沖縄で見られる,女兄弟が男兄弟を呪術的に守っているという「うなり神」の信仰もその古代日本の信仰の流れを汲むものだろうと考える研究者もいます。

註2.「巫女のシャーマニズム的要素について」
現在では,青森県恐山のイタコや沖縄のノロが,シャーマニズム的要素が見出される数少ない例でしょう。

註3.「ウサツヒコノミコトと宇佐氏について」
ウサツヒコノミコトは,古代から宇佐を支配してきた豪族,宇佐氏の祖先であり,大和へと向かう神武天皇の船団を迎えもてなしたと伝えられています。ウサツヒコノミコトの子孫がが王として代々,宇佐を支配しており,大和王権の支配化に統合された後は宇佐国造(うさのくにのみやつこ)として存続し,現在の宇佐神宮の大宮司家に至っています。

註4.
宇佐神宮の大宮司職は宇佐国造の子孫の方々が古くから代々継承していました。現在,引退した先代の大宮司さんに代わって,他神社から異例に大宮司を迎えています。宇佐国造の血筋の方が宇佐神宮の大宮司を継承するというしきたりに従って,現在,権宮司職にある,先代宮司さんの娘さんがいずれは大宮司にならなければいけないそうです。