鎌倉好き集まれ!まこたろうさんの鎌倉リポート・第4号(2008年1月13日)
鎌倉七福神巡り④妙隆寺
第2世住職の日親は『立正治国論』を著し、6代将軍足利義教の
悪政を戒めたが、弾圧に遭い最後には焼けた鍋を被せられる極刑を受けた。それでも決して自説を変えなかったため〝 鍋かむり日親〝と呼ばれた。
悪政を戒めたが、弾圧に遭い最後には焼けた鍋を被せられる極刑を受けた。それでも決して自説を変えなかったため〝 鍋かむり日親〝と呼ばれた。
日親上人が、京都布教前に100日間の水行の後、剥いだ爪から流れる血で曼荼羅を描いたと伝えられる〝血の池〟ともいわれる。