鎌倉好き集まれ!poko fukuokaさんの鎌倉リポート・第30号(2006年7月16日)

古い地形図で見る江ノ島

昭和2年発行(1927) 江ノ嶋 1/20000より

 もうすぐ海水浴シーズンかならずテレビ写る江ノ島周辺が、以前どうだったか、古い地形図で見ることにしました。

昭和2年発行(1927) 江ノ嶋 1/20000
ちょっと地図に詳しい方だと気が付くのですが、これ現在の国土地理院の地形図には無い縮尺サイズです。
現在では1/20000,1/50000,1/25000で全国カバー 都市部で1/10000などとなってますが、明治時代に1/20000で全国をカバーする計画もあったようです結局 この計画は挫折して現在の縮尺になりました。

昭和2年発行(1927) 江ノ嶋 1/20000より、
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この地形図 発行は昭和2年(1927)ですが、測図 明治20年(1887) 明治41年(1908) 鉄道補入となっています。
ですから測量は明治20年(1887)で明治41年(1908)に江ノ電を書き入れただけで発行は昭和2年(1927)ですが、基本的には明治時代の江ノ島の地形図と考えて間違えないようです。
私としては明治20年(1887)の物が欲しいのですが他の縮尺の地形図ですと改訂前の地形図も国土地理院に残っているのですが、1/20000は無いようです。

 江ノ電の江ノ島駅から竜口寺周辺は、今よりは人家は少ないですが同じような感じです。



昭和2年発行(1927) 江ノ嶋 1/20000より、
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片瀬川の西側を見ていくと、びっくりする現在の小田急片瀬江ノ島駅あたりが、なにも無い事だ 現在なら、片瀬川の西も東も同じように人家が、多いですが、当時の西側は、田畑の記号も無いので、荒れ地ですね。
それに江ノ島の間に橋が無い。
かわりに点線で道が描かれている、現在の地形図ですと枠外に記号の説明が載っているのですが、これには載っていない、手持ちの同時代の1/50000に載っている 記号の説明だと これは「車両渉所」聞き慣れない言葉ですが車などが川、海を渡れる所との意味でしょう。なんだか凄い。
その先 船みたいなマークが描かれている これは現在でも通じる記号、渡し船だ。
これから後には1/20000地形図は作られなくなりました、それに替わる縮尺して1/25000江ノ島 発行 昭和5年(1930)が登場したのですが、それには、渡し船の記号が消えましたが、そして橋の記号は無くて点線で道のように描かれている「車両渉所」のままでした。
その後 昭和22年(1947)、24年(1949)の改訂も同じでした。
実は橋は有ったのです、http://mirabeau.cool.ne.jp/enoshima/などを見ますと、明治30年(1897)には木橋ができているのに、それについて地形図では、なぜか無視している。ただし簡単な木製の橋で台風などで、たびたび壊れたそうです。

昭和5年(1930)発行 江ノ島 1/25000
より

私の考えとしては、地形図の作成は 第二次大戦終了までは、陸軍の組織 大日本帝国陸地測量部にあった、究極の目的は現地で戦争するための資料 台風などですぐに壊れる橋は戦争の役にはたたないので無視したのかもしれません。


 この頃になると昭和4年(1929)小田急江ノ島線開通、周辺も道路が整備され駅舎正面から片瀬川を渡る橋が出来ました。



昭和5年(1930)発行 江ノ島 1/25000
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