鎌倉好き集まれ!deskさんの鎌倉リポート・第157号(2011年8月12日)
名越切通し
法性寺
名越切通しを仲間に案内しようと計画したが、長い間行ってなかったので下見を兼ねて出かけた。
大切岸から回ったほうがいいので逗子駅からバスで法性寺へ。
法性寺の地は鎌倉時代日蓮上人が松葉が谷で焼き討ちにあったとき、白猿が表れて山越えのこの地に逃れさせたとの伝説があり、その地に立てられたもので山門にも白猿が彫られている。
日蓮とともに逃れた弟子の日朗上人の廟堂もある。
大切岸から回ったほうがいいので逗子駅からバスで法性寺へ。
法性寺の地は鎌倉時代日蓮上人が松葉が谷で焼き討ちにあったとき、白猿が表れて山越えのこの地に逃れさせたとの伝説があり、その地に立てられたもので山門にも白猿が彫られている。
日蓮とともに逃れた弟子の日朗上人の廟堂もある。
日朗廟堂の前に日蓮が隠れていたと言う岩窟がある。
さらに奥には山王権現の五重塔があり、そこからの眺めはよい。
さらに奥には山王権現の五重塔があり、そこからの眺めはよい。
大切岸
法性寺の奥の墓地のところから見ると大切岸の全景が見える。
岩を縦に掘削して大きな壁にしたもので戦いの時は防壁として使われたものとか。
今は草が伸びて全景はよく見えないが、近づいてみると結構高く迫力のある壁となっている。
岩を縦に掘削して大きな壁にしたもので戦いの時は防壁として使われたものとか。
今は草が伸びて全景はよく見えないが、近づいてみると結構高く迫力のある壁となっている。
墓地の奥の細い道を登った大切岸の上に出る。
大切岸の縁に沿って犬走りが走っている。戦いのときは兵が移動したのだろうか。この道は現在も使われていて、パノラマ台へ通じている。
下を見ると平場がある。今は草でよくわからないが戦争のときはここに兵が待機していたと言う。
大切岸の縁に沿って犬走りが走っている。戦いのときは兵が移動したのだろうか。この道は現在も使われていて、パノラマ台へ通じている。
下を見ると平場がある。今は草でよくわからないが戦争のときはここに兵が待機していたと言う。
犬走りの近くに石廟が二つ立っていた。
大空洞(だいほうとう)
名越切通しの中心大空洞は人一人が通り抜けるのがやっとと言う狭い空間。ここを大軍が通り抜けるのは大変だろうなと思わせる。
置石
大空洞から道に沿って戻ると、道の真ん中に大きな石がある。
置石と言われるものでいざと言うときは人馬の通行を妨害する役目と言われている。
道の傍らには二基の五輪塔があった。
この道を下っていくと約10分でJRの名越の踏切に到達する。
置石と言われるものでいざと言うときは人馬の通行を妨害する役目と言われている。
道の傍らには二基の五輪塔があった。
この道を下っていくと約10分でJRの名越の踏切に到達する。