鎌倉好き集まれ!一止散人さんの鎌倉リポート・第14号(2003年5月6日)

山崎から北鎌倉へ

 いつもの散歩道から足を伸ばして、北鎌倉まで歩いてみました。

 「これより江ノ島(道)」

 山崎バス停から鎌倉中央公園に向かう道の途中に、この道標(文化8年(1811年)銘)があります。
 ここを江戸時代、戸塚方面から江ノ島に参詣する人が通っていました。山ノ内から台、山崎、上町屋、手広を経て江ノ島に通ずる「江ノ島道」の名残です。昔の人も観光を楽しみにここを通ったのかなと思うと、200年前もついこの間のような気がします。
 下がコンクリートで固められてしまって見えないのは残念ですが、これからも今のままそっと残しておきたい遺産だと思います。
 
 もう少し先の左側、JR社宅裏の庚申塔です。

 中国の思想では、人の中に住んでいる虫が60日に一回の庚申の日の夜、罪を告げに天に昇って行くとか、、。それで寿命を縮められないよう、その日は夜通し寝ないでお祈りしたり、寄り合って宴を催したりする「庚申講」が行われたそうです。
 向かって右側、青面金剛と見ざる・聞かざる・言わざるの三猿は庚申塔の定番。左側の方には日と月が彫られています。庚申塔は鎌倉市内に約80箇所ほどあるそうで、見比べながら歩いてみるのも面白いかも知れません。
 
 この辺りまで進んでくると山の迫ったところもあって、何となく古道の雰囲気が漂ってきます。
 
 
 山崎小学校向かい、北大路魯山人邸・星岡窯跡です。

 かつての星岡窯の写真には、山ふところに建物が散在したのどかな田園風景がうかがえます。魯山人亡き後は、「其中山房」という名で、要人を招いた茶会などが開かれたそうです。
 いまはひっそりとして、この茅葺の門と長い建仁寺垣、そしてわずかに残った建物に当時を偲ぶのみです。
 山崎小学校から神明神社を通り、小袋谷に抜ける道。魯山人が書いた絵地図によれば、この辺りが「臥龍峡」のはず。臥した龍になぞらえ、左右に迫った山の間をくぐり抜け、くねくねと曲がりながら進んだそうですが、面影は余りありません。緩やかにカーブした道が、その名残でしょうか、、。
 小袋谷交差点まで出ない手前で右折すると、幅1mくらいの細道がアップダウンしながら延々と続きます。生垣、玉石の垣、竹垣、純和風の家、洋風の家、、いろんな家が混在した風情ある道です。
 鎌倉街道とは小袋谷川を隔てただけなのに、とっても静~かな路。一人ノンビリ散歩するのに、最高だなと思いました。路地から路地へ直進すれば、まもなく北鎌倉駅です。