鎌倉好き集まれ!十六夜さんの鎌倉リポート・第74号(2011年4月8日)
極楽寺開山 忍性菩薩
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極楽寺境内 忍性墓 2011年4月8日 撮影
忍性菩薩の名は慈善および社会救済事業を通して有名ですが、奈良に在す時から常施院・北山十八間戸を建て、病人や貧しい人の救済につとめました。のちに鎌倉に入って極楽寺の開山になる頃には、徳行と律の再興とで世に広く知られていました。
また、極楽律寺長老として、境内に施薬・悲田・施益・福田の四田院を設け、人々の救済につとめ、癩者・病人のために癩宿・薬湯室を建てて収容、治療につとめられました。収容された人は二十年間に五万七千人にも及んだと伝えられます。また、牛・馬など、家畜のためにも坂の下に馬病舎を建て年老いたり病み衰えたりした牛馬の世話をしました。
「端坐常の如く僧伽梨を着け威儀を正し、心は観念に住し手に密印を結び口には秘明を誦し、奄として極楽寺に終わる。寺の西畔に於いて火葬し弟子等只々悲涙をぬぐい泣き泣き遺骨を拾う、舎利を分け三所に留め置く、一分極楽寺、一分竹林寺、一分額安寺、是遺命依る也、銅瓶の中に入れ遺跡の霊墳に納める。」嘉元元年(1303)七月十二日八十七歳で入滅されました。
忍性菩薩の墓所は四月八日のみ特別参拝できます。「極楽寺のしおり」より なお写真撮影は了解を得て撮影しました。
また、極楽律寺長老として、境内に施薬・悲田・施益・福田の四田院を設け、人々の救済につとめ、癩者・病人のために癩宿・薬湯室を建てて収容、治療につとめられました。収容された人は二十年間に五万七千人にも及んだと伝えられます。また、牛・馬など、家畜のためにも坂の下に馬病舎を建て年老いたり病み衰えたりした牛馬の世話をしました。
「端坐常の如く僧伽梨を着け威儀を正し、心は観念に住し手に密印を結び口には秘明を誦し、奄として極楽寺に終わる。寺の西畔に於いて火葬し弟子等只々悲涙をぬぐい泣き泣き遺骨を拾う、舎利を分け三所に留め置く、一分極楽寺、一分竹林寺、一分額安寺、是遺命依る也、銅瓶の中に入れ遺跡の霊墳に納める。」嘉元元年(1303)七月十二日八十七歳で入滅されました。
忍性菩薩の墓所は四月八日のみ特別参拝できます。「極楽寺のしおり」より なお写真撮影は了解を得て撮影しました。
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施薬に使ったとされる石鉢と石臼
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忍性が粥を施したとされる井戸