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JUNEさんの鎌倉リポート No.31(2004年12月1日) |

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朝一番、9時Justの開門を待って、いざ出陣。 朝靄残る緩やかな石畳の坂道を登り、トンネルをくぐると、 洋館の青い屋根が見えてきた。
文学館の玄関壁も秋模様。 ステンドグラスの小窓に向かってぐんぐん伸びゆく蔦の葉。 いろんな秋色が交ざりあって、これも一種のArtだね。
来年の賀状のモチーフにどうかな・・・? 次々に浮かんでは消える木版画デザインの構想。
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 蔦の葉
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 朝靄の小路
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本日のお目当ては、 企画展《星野立子〜天才少女のスローライフ》。
立子は、高浜虚子の次女として東京に生まれたが、 7歳の時に鎌倉に移り住み、父の勧めで句の道に。
父がつけた「立子」の名に負けぬよう、 弱音を吐くことなく凛と立ち、自身の人生と向き合った。
《父がつけしわが名立子や月と仰ぐ》
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「小さいながら、俳句を作っておるという一つの生活・・・ それは外国へ踏み出して、その大きなものに接したことのために、 かえってその小さなものの価値を認識することになる。」
昭和31年、立子が文化使節団の一員として海外へ赴く時、 虚子はこう励まし送り出した。
父が娘に贈った色調豊かな帯。今尚、その輝きは衰えず。 きっと大事に身に付けていたんだろうな。
《皆が見る私の和服パリ薄暑》
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 父からの贈物
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昭和34年春、虚子逝去。
「…人工衛星が飛ぶようになって来た。 お互いはどういう事をしていたらいいだろう。 俳句を作って(静かに自然を諷詠して)おるのがよかろう。」
生前の父の言葉に、立子は 「運命は来るのを待つものではない。 運命は自ら努力していかねばならないもの」と悟る。
《なぜ泣くやこの美しき花をみて》
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slowly but surely (2/2)へ続く。
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