鎌倉好き集まれ!KIさんの鎌倉リポート・第168号(2009年8月27日)

夏越の行事,茅の輪くぐりについて

【夏越祭の午後,鶴岡八幡宮】

KIです。
今回は, 奥さんのピンチヒッターとして自分がレポートします。

去る8月6日,鶴岡八幡宮で夏越祭が行われました。立秋の前日に行われるこの祭のルーツは古く,年の前半までに被った穢れを祓い流し,身を清めた状態で祖先霊や神様をお迎えする行事でした。そして,収穫期など大事な決算期でもある年の後半に備えるという意味合いもあったようですね。

【夏越祭開始,源平池へと向かう神職中】

かつて旧暦6月30日に行われ,旧盆や原初のタナバタ信仰とも密接な関わりがあったらしい夏越祭の神事ですが,鶴岡八幡宮での実例を順を追って紹介していきましょう。
 まだまだ暑い中,鶴岡八幡宮で夏越の神事が始まりました。午後3時,白,青,黄色の装束で身を固めた神職さんたちの行列は社務所を出立し,源平池へと向かいました。

【源平池,水辺での御祓い神事。大祓詞(おおはらえことば)を唱和しているところ】

【紙人形(よりしろ)を回収して水辺での潔斎が終了】

池のほとりに,一同着座。お祓いの神事が始まりました。

皇親神漏岐 神漏美の命以ちて 八百萬神等を神集へに集へ賜ひ・・・

おもむろに大祓詞(おおはらえことば)を唱和した後,神職ひとりひとりに配られた包みから「紙幣(かみぬさ)」という細切れの紙片と麻くずを両肩にふりかけます。次に,小さな紙の人型(ひとがた)で身体をなで,息を吹きかけて包みで封印して終了。20分ほどの水辺での潔斎でした。

「いつの頃からか定かではありませんが,当社の源平池での夏越の潔斎は古くからのしきたりなんです。」

顔見知りの神職さんのお話です。夏越祭は本来,年の上半期最終日(6月30日)の行事。明治時代より前には旧暦で行われていたのですが,現在ではこれを新暦に換算して,おおむね8月6日を「夏越の日」としています(※1)。鶴岡八幡宮の夏越祭もそれに準じたもの。
 ただ,鶴岡八幡宮の場合は新暦の6月30日にも「大祓祭」があり,源平池のほとりではなく境内の舞殿周辺で,同様な手順の潔斎と,後述する茅の輪くぐりが行われます。また,大祓祭の場合は一般の参拝客も神職と一緒に神事に参加できるので,自分も昨年,今年と2年連続で参加してきました(昨年の様子は自分のレポートNo.96「6月30日,鶴岡八幡宮で大祓を受ける」を参照)。

【水辺の潔斎の後,茅の輪くぐりをします】

【新暦6月30日,大祓祭での茅の輪くぐり】

さて,夏越祭ですが,源平池で半年の穢れを潔斎した神職さんたちは再び参道を戻り,社務所前に据えられた大きな茅の輪に向かいます。

茅の輪くぐりです。

茅の輪とは写真にあるように茅草で作られた大きな輪。左の2枚の写真からはそのくぐり方はわかりませんが,輪の中を左まわり,右まわり,そしてまた左まわりと8の字に3度くぐり抜けます。茅草の強い生命力が災いから身を守ってくれると古来から考えられていたそうです。
 左上の写真は8月6日,夏越祭の茅の輪くぐりなのですが,あいにく茅の輪をくぐっている瞬間が写っていませんが,左下の6月30日,大祓祭での写真は,神職さんたちが一列になって順番に茅の輪をくぐり抜けている様子がわかっていただけると思います。

見るからに日本古来からの伝統を感じさせる茅の輪なのですが,実は鶴岡八幡宮など多くの神社で現在見られる茅の輪くぐりの作法は意外にも近世に出来上がったものだそうです。
 夏越の行事は奈良時代にはすでに行われていたことが記録に残っています。古い時代の茅の輪くぐりは現在見られるものとはだいぶちがったものだったようです。
 
そして,この古い様式の茅の輪くぐりが,九州大分の宇佐神宮に伝承されていました。

宇佐神宮の夏越祭と茅の輪くぐり

【川御幣(右奥)を前に神職一同,大祓詞を唱和します】

【川御幣を前に祝詞奏上】

宇佐神宮は全国4万余ある八幡宮・八幡神社の総本社。もちろん鶴岡八幡宮にとっても大切な元宮様で,毎年3月18日の宇佐神宮例大祭の日には舞殿で「宇佐神宮遥拝式」を行っています(参照;過去レポートNo.82「宇佐神宮遥拝式」)。
 昨年4月に初めて訪れてから1年4ヶ月,2度目の宇佐神宮参拝が実現しました。
 自分が訪れた7月31日の午後,宇佐神宮は夏の神幸祭で,八幡三神の神輿が三基,境外へと出立していきました。そして,午後6時半,神輿は境内に戻り,頓宮(お旅所)に到着。
 神様を頓宮の祠にお遷しした後,宇佐神宮の夏越祭が始まりました。こちらのお祓い神事は水辺ではなく頓宮の脇の広庭で行われます。写真のように3本の御幣を立てた槇を前に,神職一同が整列し,大祓詞(おおはらえことば)を唱和します。
 実はこの神事,かつては境外の小川で行われていたそうですが,訳あって,頓宮の広庭で行われるようになったそうです。そのため,3本の御幣を「川」の字に見立てて「川御幣」と呼んで,本物の川の代用としているのだそうです。
 この「川御幣」前での大祓詞・祝詞奏上・二段再拝など一通り終わると(※2),いよいよ宇佐神宮独特の茅の輪くぐりが始まりました。

【あたりが暗くなる頃,菅抜神事が行われました】

【これが夏越の菅抜神事で使われた茅の輪】

こちらでは境内に立てた大きな茅の輪を歩いてくぐるのではなく,直径1メートルほどの小さな茅の輪を使います。大宮司を筆頭に,神職がひとりずつ順に「川御幣」の前で茅の輪くぐりをするのですが,左の「宇佐神宮の茅の輪くぐり(菅抜神事)」のイラスト写真のように,茅の輪くぐりをする人物は一ヶ所に留まったまま。そして,その場で平伏したところに,茅の輪を手にした別の若手神職が上から茅の輪をサッと通すのです。その作法を「菅抜(すがぬき)」というのだそうで,宇佐神宮の茅の輪くぐりは別名,「菅抜神事」とも呼ばれています。

川御幣前の起点から左まわりに歩いて起点に戻り,平伏して1回目の菅抜,次に右まわりした後,平伏,2回目の菅抜,最後にまた左まわり,平伏,3回目の菅抜

見学していましたが,以上のような手順であったと思います(間違っていたらゴメンナサイ)。
 この宇佐の茅の輪くぐりは,鶴岡八幡宮などでの茅の輪くぐりの古い形なのだそうです。夏越の神事は,奈良平安の頃には既に行われていたようですが,現在のように民間に広く開放されたものではなく,あくまで皇族・高級貴族に限られた宮廷行事でした。従って,茅の輪も大勢でくぐる機会も必要性もなく,手持ちの小さな茅の輪を身体に通すものであったそうです。宇佐神宮の茅の輪くぐりは平安時代の文献に見えるものと同様のものだそうです。
 それが大きく変化したのは,室町末期か江戸の初期あたり。権門階層のものだった夏越行事が広く一般にも普及し,茅の輪も一度に多人数がくぐることができるように大型化し,道に設置するタイプのものになったのだそうです。

11世紀の古態をそのまま今に伝えるという宇佐神宮の夏越の茅の輪くぐり

その広大な境内にはさまざまな古い時代の習慣やしきたりがタイムカプセルのように息づいているのですね。

夏越祭の神楽

【宇佐神宮,夏越祭奉納の里神楽(2009年8月1日)】

【鶴岡八幡宮舞殿での夏越の舞(2008年8月6日)】

さて,(水による)お祓い,茅の輪と続く夏越の神事が終わると,宇佐神宮でも鶴岡八幡宮でも神前に神楽が奉納されました。
 上2枚の左の写真が宇佐神宮,夜の夏越神事の翌朝に奉納された里神楽で,右の写真が鶴岡八幡,茅の輪くぐりのすぐ後に奉納された夏越の巫女神楽です。
 特に左の里神楽の写真からは,大変激しい活発な舞踊であることがわかると思います。右の巫女神楽も実は,鶴岡八幡宮おなじみの「萬年」や「浦安」といった巫女神楽に比べると躍動感があって活気のある舞踊でした。
 もしかすると,これらの神楽は,半年分の穢れを祓い清め,茅草の生命力も得て心機一転,元気になった状態をいずれも表現しているのかもしれないですね。
 
気がつけば,8月も終わろうとし,まもなく年度の下半期が始まります。新型インフルエンザの大流行やいまだ癒えない不景気感,大地震の懸念など,不安材料もいろいろとありますが,重要な決算や収穫がいくつも控えていて,いろいろな面から成果が問われる下半期。
 
年末年始には夏場に詣でた神前に再び「この夏,頑張ったおかげで有意義な年になりました(※3)」と報告できるといいですね。

            2009年8月27日 KI


(※注釈)
※1;ただし,8月6日からずれる日付で夏越祭を行う神社もある。事実,今回紹介の宇佐神宮の夏越祭は7月31日でした。
※2;宇佐神宮の場合は,紙幣や人形の神事はありませんでした。新暦6月30日にだけ,紙幣や人形の神事を行い,鶴岡八幡宮のように二度行うことはしないようです。
※3;とはいえ,そうそう良いことがあるほど世の中甘くもない(むしろ人生は厄介な問題の連続)でしょうし,それなりにやりすごして生きていれればそれだけで「御」の字と思うのは自分だけでしょうか。

(データ)
・鶴岡八幡宮の写真;KI撮影(2008.8.6 & 2009.6.30)。後日,レポート使用の許可取得
・宇佐神宮の写真;KI撮影(2009.7.31 & 8.1)。後日,レポート使用の許可取得