トップ鎌倉好き集まれ!KIさんトップ 第25号 


▲KIさんトップへ戻る

KIさんの鎌倉リポート No.25(2006年11月21日)


No.24
No.26



信州の鎌倉(その1) 〜黄葉の塩田平



塩田平,お地蔵様と黄葉(11月10日撮影)
長野県上田市の塩田・別所は「信州の鎌倉」と呼ばれ,平安〜室町時代にかけて造られた寺院が数多く存在します。しかし,寺院が密集しているというだけでそのような異名をとっているわけではありません。鎌倉の北条氏のひとり,北条義政が1277年に信濃国塩田荘に遁世し,それ以降50年余り3代にわたって北条氏がこの地域を治めました(塩田北条氏)。その間,鎌倉風の仏教文化が塩田及び別所の地に栄えたのです。
 この11月上旬に,鎌倉より一足早く木の葉色づいた塩田平と別所温泉を旅してきましたので3回ほどに分けて報告したいと思います。

 まずは,信州の鎌倉(その1),塩田平編です。


 



大イチョウと前山寺三重塔。室町初期に着工されたと云われる三重塔は実は2,3階部分が未完成なのです(11月10日撮影)。
 11月10日,長野新幹線の始発列車と上田電鉄別所線を乗り継いで,田園と山地の塩田平に到着したのは午前8時半。

 山々の黄葉が朝日に映えていました。

 シャトルバスでまず向かったのは前山寺。茅葺きの本堂と三重塔が印象的な真言宗の寺院です。特に三重塔は未完成らしいのですが,完成物以上に均整のとれた佇まいに「未完成の完成塔」と呼ばれています。
 ほぼ黄色に色づいたイチョウの大木が格調ある塔に趣を添えていました。

本堂で名物のくるみおはぎを頂きながら,お寺の人にお話を少し伺うことができました。
 前山寺は平安初期(9世紀前半)に創建されました。その後,塩田北条氏をはじめ福沢氏や武田氏の庇護を受けて存続し,現在も真言宗の若手僧侶を育成する場として一役担っているのだそうです。
 また,本堂には弘法大師空海の生涯を描いた縁起絵図がありましたが,腰越の満福寺で見たものと同じものでした。

 前山寺の周辺には,西洋風のクラシックカフェや無言館(戦没画学生の遺作ギャラリー)があり,ゆっくりとくつろぐには最適な場所です。このあたり何となくキタカマと似た雰囲気があるかもしれません。また,柿,栗やリンゴなど採れたての果物や野菜を売っている屋台小屋など,信州ならではの風物ですね。
 自分,本場の鎌倉に出掛けるときにはいつも遅起き人間なのですが,たまには早起きもいいですね。おかげで信州の朝と黄葉を満喫できましたよ〜♪

 午前10時,ようやく観光客で賑わい始める時刻,前山寺を後にしました。



前山寺名物「くるみおはぎ」はなかなかの美味^^

前山寺の次は龍光院へ。ところどころに道祖神や野仏さまが見守る里山の遊歩道を歩くこと10分ほどで着きました。
 ここは塩田北条氏の菩提寺。北条重時(義政の父),塩田北条氏初代の北条義政,2代目の北条国時,そして3代目の北条俊時の親子4代の菩提が弔われています。この龍光院のすぐそばには義政の墓があります。
 北条義政は,1273年に鎌倉幕府8代執権の北条時宗の連署(補佐役)になりました。1274年には時宗とともに最初の元寇(文永の役)に対処しています。その3年後に連署を辞任して(理由は病のためとされていますが)塩田荘に移り住み,さらに5年の後,40歳でこの地にて亡くなっています。
 龍光院は,義政の死後間もなく,息子の国時によって創建されたと云われています。鎌倉の建長寺の末寺として建立されたのだそうです。

ところで,この寺では精進料理(事前予約制)を食べられるのですが,お昼にはまだ早い(先ほど,前山寺でくるみおはぎも食べたし・・・)ので,次回訪れたときの楽しみにとっておくことにして,物静かな龍光院を後にしました。


龍光院墓地にある,北条義政の墓(11月10日撮影)。
義政は鎌倉幕府の要職を歴任した後,30代半ばで一線を退きました。




中禅寺本堂の屋根と黄葉する桜の木(11月10日撮影)
遊歩道をさらに進み,塩田の館(観光物産センター)を,左手にさらに歩くと塩田神社と中禅寺に至ります。
 午前11時,塩田神社。鬱蒼とした森の中にある,無人の質素な木造神社(ただし,楼門構造の本殿は重要文化財)ですが,延喜式にもその名が記載されている由緒ある古社なのです。この塩田神社から200メートルほどのところに中禅寺があります。ここもまた,弘法大師によって開かれたと云われる真言宗の古刹。
 ちなみに,塩田神社と中禅寺を結ぶ道路は,その昔,流鏑馬神事が行われた馬場だったそうで,500メートル先の塩田神社の一の鳥居までまっすぐに伸びた道がその名残をとどめています。

かつて,この辺りは塩田北条氏の庇護を受けた前山寺・龍光院・塩田神社・中禅寺などを中心に門前町が広がり,往来する人々で賑わっていたのでしょう。




獲り入れが終わった後の塩田平の田畑(11月10日撮影)
鎌倉時代には,塩田北条氏の居城は寺院群よりさらに山手の高台にあったのだそうです(塩田城跡)。おそらく戦時に備えて高所に本拠地を置いたのだと思いますが,当時,塩田城の屋敷からは塩田平一帯に広がっていただろう城下町や数々の寺院を一望することができたでしょう。

1333年,新田義貞が鎌倉攻略を目指して進軍。この危機に対し,北条国時・俊時の父子は幕府軍の一員として鎌倉に馳せ参じましたが敢えなく敗れ,鎌倉の東勝寺にて北条得宗家とともに自害しました(鎌倉幕府の滅亡)。
 塩田北条氏が滅びた後も,信濃の新守護になった村上氏の城代,福沢氏が塩田城に拠点を置きましたが,今では前山寺・龍光院・中禅寺などが,のどかな田園地帯の中で往時の仏教都市の面影を伝えています。

ここもまた「つはものどもの夢のあと」なのかな・・・

中禅寺の休み処でお茶と軽食で少し腹ごしらえをした後,塩田平を後にしました。



追伸,次回は信州の鎌倉(その2),別所温泉編をレポートいたします。


黄葉するカラマツ(11月10日,塩田の独鈷山麓にて)


No.24
No.26