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KIさんの鎌倉リポート No.37(2007年2月28日)


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鶴岡八幡宮のルーツを旅して(その2)〜壺井八幡宮と鶴嶺八幡宮 

1月のレポートで,鶴岡八幡宮の前身である元八幡(由比若宮)と勧請元である石清水八幡宮を紹介しました。
 今回は鶴岡八幡宮のルーツをたどる旅,第2弾。鶴岡八幡宮の兄弟ともいうべき八幡宮を訪ねて大阪河内と湘南茅ヶ崎をそれぞれ旅しました。

2月の連休,実家への帰省がてら大阪府の羽曳野市へと向かいました。かつて「河内」と呼ばれたこの地に,最初の目的地の壺井八幡宮があります。
 関西空港からJRと近鉄電車を乗り継いで最寄の上ノ太子駅から壺井八幡宮までは徒歩約20分。古い街並みやのどかな田園のそこかしこに古代の寺院跡や百済王を祀る神社,古墳などが点在する中を歩いてたどり着きます。
 この神社を創建したのは源頼義。そう,前回紹介した材木座の由比若宮を創建した人なのです。
 


古代から中世の長い歴史を感じさせる集落の中にある,壺井八幡宮の鳥居

鳥居をくぐるとすぐ,「壺井」の地名の由来になった古井戸があります。それを通り過ぎ階段を上ると本殿と壺井権現社が控えるやや広い境内に至ります。
 
 当日は快晴でしたが,誰一人いない境内は物静かでした。自分以外には社務所で番をする年配の宮司さんだけ。朱印を頂いたついでに少しお話を伺いました。

「昔,このへんは香炉峰て呼ばれてまして,河内源氏の本拠地やったんですわ」

11世紀初めに源頼信(968〜1048年)が壺井に移住したのが河内源氏の始まり。子の源頼義(988〜1075年)が奥州での前九年の役に勝利し,この地に凱旋し,石清水八幡宮を勧請したのが壺井八幡宮の始まりです。西暦1064年のことです。鶴岡八幡宮の前身である由比若宮の創建が1063年なので,その1年後に壺井八幡宮が誕生したわけです。1年遅く誕生したという以外は,勧請元も建立者も同じということで,鶴岡八幡にとっては実の弟といったところでしょうか。


かつて配下の兵士や商人たちの往来で賑わったという壺井のあたりですが,今は古い家々と田園が閑静なたたずまいです。境内にある樹齢千年のクスノキの巨木の周りには紅色の椿がたくさん落花していました。

「ヤブツバキですわ,毎年ようけ咲きまんでぇ・・・」

と先程の宮司さんが教えてくれました。自分は生まれてから就職で大阪を離れるまで長年にわたって何気なく話し,当たり前のように聞き流してきたはずの河内弁ですが,関東で暮らすこと5年以上経た今,改めて味わい深い響きだなと思えてしまいました。正直驚きですね。


本殿のある境内では藪椿がたくさん

さて,河内源氏が半世紀以上,本拠を置いた壺井界隈には八幡宮以外にも源氏ゆかりの史跡があります。源頼義が源氏の菩提寺として建立した通法寺の跡地,河内源氏3代の墓
・・・壺井一帯は「源氏の里」と呼ばれています。
 写真は河内源氏3代目の源義家の墓。壺井八幡宮から徒歩10分ほどの竹薮にある,直径10メートルほどの円墳です。源義家(1039〜1106年)は「八幡太郎」とも呼ばれ後世の武家から理想の武将として崇められたことは前回のレポートでも書きました。源頼信が礎を築き,源頼義が発展させた河内源氏は,この源義家の代に最盛期を迎え武門の棟梁として揺るぎない地位を確立します。
 その威徳を偲ぶかのように,義家公の墳墓の前には今も供物や献花が後を絶ちません。


源義家公の墳墓



電車の窓から見える鶴嶺八幡宮の大鳥居(画面中央あたり)
関西から戻った翌週末,二つ目の目的地,茅ヶ崎の鶴嶺八幡宮へと足を運びました。

平塚駅から茅ヶ崎駅へと向かう東海道線(湘南新宿ライン)の車窓越しに外の風景を眺めていると,茅ヶ崎の市街地にそびえる朱色の立派な鳥居が,一際目を引きます。

茅ヶ崎駅で下車して駅北口から歩くこと20分ほどで,車窓ごしに見えていた巨大な鳥居(一の鳥居)にたどり着きます。ここからさらに松並木の参道(車道です)を行くこと約10分で小振りな太鼓橋と二の鳥居。ここから数百メートルほどの砂利と灯篭の参道を行くと鶴嶺八幡宮の本殿にゴールイン。

最初の鳥居から延々と歩いてたどり着くあたりなどは,鶴岡八幡宮と似ていますね。



鶴嶺八幡宮本殿にて
自分が鶴嶺八幡宮を訪れたときは,写真のとおりの雨模様でした。

悪天候もあって人通りもほとんどない中でしたが,意外にも参拝に訪れる人がポツリポツリ。自分が居た20分ほどの間に,一人あるいは親子連れなど4組ほどが本殿に手を合わせていきました。

茅ヶ崎を代表する神社として,地元内外のあつい崇敬を集めているのです。

それもそのはず,八幡宮としては鶴岡八幡宮よりも古いのです。



雨の参道では早咲き桜が咲いていました
鶴嶺八幡宮ができたのは西暦1030年。鶴岡八幡宮が創建される33年前です。
造ったのは,若い頃の源頼義。房総で反乱を起こした平忠常を,父の頼信とともに討伐した帰途,茅ヶ崎に石清水八幡を勧請したのが鶴嶺八幡宮の起源なのです。
 言ってみれば,鶴岡八幡宮の兄的存在になるわけです。

この鶴嶺八幡宮ですが,何度か遷宮(神社が移動すること)をしているらしく,現在の場所に至る前に神社があったところ,さらにそれ以前に神社があった場所が徒歩で行けるところにそれぞれ本社宮,本社宮跡地として現存しています。

白梅と早咲き桜が飾る灯篭の参道を後にして,茅ヶ崎駅へと向かいました。

鶴嶺八幡宮を参拝した日の夕方,鎌倉の鶴岡八幡宮へと戻ってまいりました。
日中,振り続けた雨もようやく上がりました。あたりが次第に暗くなる時間帯でしたが,境内はまあまあの賑わいぶり。
 本殿の階段脇にある河津桜は3部咲き程度で,ちらほらと咲くピンクの花が薄暗い中でも目を引きます。

前回のレポートも合わせて鶴岡八幡宮のことを一言で表せばこうなるのではないでしょうか。

「鶴岡八幡は石清水八幡を親とし,鶴嶺八幡を兄,壺井八幡を弟に持つ」

源頼義が建てた祠を現在の場所に移し,現在の規模の鶴岡八幡宮にしたのは源頼朝だということ,源頼朝は武門の棟梁「河内源氏」の直系の子孫であることは前回レポートでも少し述べました。
 源義家の死後,実は河内源氏は衰退の一途をたどり,ついには平清盛に滅亡寸前まで追い詰められますが,源頼朝と弟,義経の活躍で起死回生し,ついには鎌倉幕府を築いて武門の棟梁の地位だけでなく日本の支配権をも朝廷から奪いました。
 最良の武将として崇拝された源義家さえ行わなかった快挙をやってのけた頼朝公が,祖先がずっと奉ってきた八幡神を大々的に祭ったのも当然の成り行きなのかもしれないですね。
 もっと言えば,兄神社や弟神社に比して壮大な鶴岡八幡宮は,武門源氏の八幡神信仰の集大成だと言えるのかもしれませんね。



暮色の鶴岡八幡宮にて(2月18日撮影)


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