鎌倉好き集まれ!KIさんの鎌倉リポート・第46号(2007年5月17日)

シーサーと狛犬

竹富島の赤瓦屋根で見つけたひょうきんシーサー

遅ればせながら,皆様このゴールデンウィークはいかがお過ごしでしたでしょうか?
今年は天候にもそこそこ恵まれましたね。

このサイトをご覧になっている方々の中にも

「このG.W.には沖縄に行ってきた~(^o^)/」

という人も結構おられるかも知れませんね。長かった連休が終わっても,楽しい旅の余韻も残っている方もおられるのではないでしょうか。
 今回は,沖縄の街中で普通に見かけるシーサーと,鎌倉の寺社でお馴染みの狛犬についてお送りしたいと思います。
【狛犬とシーサーの起源は・・・】
一見したところ,どちらも同じように見えてしまうこともあるシーサーと狛犬ですが,実は別物なのです。もっと言えばもともとは同じものだったけれど変遷を経てお互い別のものになったというのが正しいです。
 狛犬,シーサーとも起源をたどればはるか紀元前2000年以前にさかのぼる古代オリエント世界のライオン像(*1)に行き着くといわれます。それがシルクロードを経て中央アジア,さらに東へと長い年月をかけて伝わっていき,漢の時代には中国でも獅子像が造られるようになったそうです。
 そして紀元6世紀,中国の獅子像が仏教とともに朝鮮半島経由で日本本土(当時は倭国)に伝わったのが高麗犬(狛犬)だとされており,14,5世紀に中国(明王朝)から琉球王国に伝わったのがシーサーというわけです。
 ちなみに狛犬とは別に中国から直接にも,日本本土へ獅子像が伝えられており,こちらは唐獅子と呼ばれていますね。

門に鎮座する沖縄のシーサー,狛犬とは似ているけれど別物なのです

神社の狛犬は,獅子狛犬というのが本来の呼び方

【狛犬のその後】
さて,仏像とともにもたらされた獅子像,当初は仏像の前に2頭の獅子像(狛犬ではない)を置くという形式だったのだそうです。
 それが平安時代のはじめになると守護獣として宮殿や神社仏閣の屋内に設置されるようになり,当時は単に狛犬ではなく「獅子・狛犬」と呼んでいたとのこと。すなわち,向かって右側で口を開けている(阿形)のが獅子,左で口を閉じている(吽)のが狛犬(*2)だったのだそうです。
 現在のように,参道などに配置されて一括して「狛犬」と呼ばれるようになったのはずっと時代が下って江戸時代になってからだということです。
 先ほど書いたとおり朝鮮半島から伝わったので狛犬と呼ばれているというのが定説であることに違いはないのですが,以上に紹介した本土での獅子像の生い立ちを見る限りでは,この説だけではしっくりいかない点があるのも事実です。
 実をいうと,日本本土での狛犬の始まりについてはこの紙面上ではとても語りつくせないほど様々な要因が絡み合っているのです。
【沖縄に伝わったシーサーその後】
おそらくは第一尚氏王統(1406~1469年)の頃かその少し前くらいに,交易によって明帝国から琉球へと獅子像の習慣がもたらされます。気になる「シーサー」という呼び方(発音)は中国で「シーシー」と発音しているのがなまったものだといわれています。沖縄でも一部地域では「シーシー」とか「サーザー」と発音するところもあるそうです。
 さて,琉球に伝わった当初,獅子像は王侯貴族に受け入れられ,建造物の門前などに石像として設置されるようになりました。
 一般民衆に獅子(シーサー)の習慣が普及するのは17世紀後半ごろから。でもまだこの当時は,魔除けの石像として村落に一頭設置するという形式でした(*3)。現在よく見られるように各家々の門や屋根に焼物のシーサーを置くようになったのは琉球王国が崩壊して沖縄県が発足してからのことです。
 なお,もともと単独の像として造られていたシーサーが,本土の獅子狛犬の影響からか阿吽のペアで造られるようになったのもこの頃からなのだそうですね。 

那覇つぼや通りの焼物シーサー~沖縄は鎌倉以上に猫が多いですね。このような光景も珍しくないです。

琉球八社のひとつ,普天間宮に鎮座するのは狛犬

【沖縄シーサーの今】
琉球王朝の滅亡を機に民間に次第に普及し,観光立県オキナワの顔にもなって久しいシーサーですが,最近では様々なバリエーションのシーサーが出回っていますね。
例えば・・・
バカ笑いするシーサー(うれシーサー),ゴーヤーを食べるシーサー(おいシーサー),そして,サンシンを弾くシーサー(たのシーサー)

那覇の国際通りを歩けば,店頭の陳列コーナーから色々なユニークなシーサー君たちが出迎えてくれますよね~。このあたり,自分も含め沖縄に足を運んだことのある人ならよくお分かりなのじゃあないでしょうか(笑)。


【沖縄の狛犬&本土(鎌倉)のシーサー】
ところで,シーサー三昧の沖縄にも実は狛犬が存在するのをご存知でしょうか?
沖縄には本土から勧請された神社仏閣が少ないながらも存在し,それらの中には本土由来の狛犬が設置されているのです。

江ノ電とシーサーの風景は鎌倉ならでは

 例えば,写真にある宜野湾市の普天間宮。社殿の前にはれっきとした阿吽の狛犬(*4)が鎮座しています。逆に狛犬ではなくシーサーが本殿前に鎮座している神社も確かに存在しており(*5),そのあたりさすが沖縄だなぁと思わされます。
 沖縄の神社仏閣では,造られた由来によって狛犬であるかシーサーであるか区別しているようです。

もうひとつ紹介しなければならないのが,本土のシーサー。昨今の沖縄ブームの影響で本土でも自宅の屋根や門にシーサーの焼物を設置するケースが見られ,湘南鎌倉も例外ではない,というより湘南鎌倉こそ典型例かもしれません。
 この半年ほどで自分がななめに見て回っただけでも,長谷を中心に10件以上ありました。余談になりますが,沖縄料理もサンシン教室も湘南地区にはそれなりに根付いているといった感じで,湘南鎌倉の環境と沖縄文化はそれなりに相性が良いのかもしれないですね~。
 
【まとめ】
今回,狛犬とシーサーの歴史から現状までを長々と見てきました。
 昔であれば沖縄(琉球)にある獅子像ならシーサー,本土の獅子像ならば狛犬か唐獅子だ,と区分してもおおむね問題なかったでしょうが,現在の分布現状を考えると,もはや「沖縄=シーサー,本土=狛犬or唐獅子」の公式が通用しなくなりつつあるという事実を見出すのは難しくはないでしょう。
 たとえ鎌倉にあってもシーサーとして家屋などに置かれていればそれは狛犬ではなくシーサーであり,沖縄でも狛犬として設置されているものはあくまで狛犬であってシーサーではないということ。
要するに場所ではなくそれぞれの由緒なりが大事ということですね。
 わが国の獅子文化,すなわち狛犬・唐獅子・シーサーが今後どのように進化していくのでしょうね・・・。




(註釈)
*1;古代エジプトやエーゲ文明のスフィンクス像,バビロニアのラマッス像など。
*2;頭に角があるものもある。獅子像として伝来した後に狛犬として創作されたという説もあり。
*3;現存するものでは東風平町富盛や糸満市照屋の石獅子が有名。
*4;鹿児島の人が寄進した獅子狛犬だそうです。
*5;那覇市の波之上神社,本殿前に鎮座しているペアの獅子は地元の陶芸家が造った焼物シーサー



お月見の大獅子~鶴岡八幡宮二の鳥居で口を開けているのは厳密には獅子狛犬の獅子のほうですね