鎌倉好き集まれ!北別府ふぁぎーさんの鎌倉リポート・第2号(2006年8月26日)

稲村ヶ崎の戦争

稲村ヶ崎

 戦後61年目の夏に鎌倉の稲村ヶ崎を訪ねた。稲村ヶ崎は新田義貞の鎌倉攻めで有名だが、太平洋戦争末期に急造された伏龍の出撃陣地の現存する場所でもあることは一般にはほとんど知られていない。
 
 伏龍は日本海軍の切り札とされた特攻兵器だ(海中に潜水した兵士が米軍の上陸用舟艇に接近し機雷を付けた竹棒を船底に突き上げて撃沈)。

稲村ヶ崎

 幸い米軍の相模湾上陸作戦(コロネット作戦)が実施されなかったため、伏龍が実戦で使われることはなかったが、訓練中に多くの人が亡くなった。

稲村ヶ崎

 稲村ヶ崎の岸壁にぽっかりと開いた伏龍の出撃口。そして、そのそばで無邪気に遊ぶ子供たち。その対比が私には不思議なもののように思えてならなかった。61年前の戦争が子供たちのすぐ後ろにある。その光景がつよく印象に残っている。


※伏龍の陣地は満潮時には水没します。危険なので入る場合は自己責任で宜しくお願いします。