鎌倉の歩き方

太平記の舞台となる北条氏ゆかりの寺々をめぐる

コース内容

日本の歴史文学の中では最長の作品とされる「太平記」。後醍醐天皇の即位から鎌倉幕府の滅亡を描いた第1部の舞台にも登場する北条氏ゆかりの寺々をめぐります。
散策時間がかなり長くなりますので、歩くのに自信のある方におすすめです。

東勝寺橋

鎌倉駅東口から若宮大路に出て鶴岡八幡宮方面に向かいます。二ノ鳥居のところの信号で右の道に入っていきます。突き当たりは昔のメインストリート“小町大路”です。そこを左折、日蓮上人辻説法跡の跡や妙隆寺を経て150mほどいったところを右折し、暫く行くと鎌倉らしさを感じるな滑川にかかる東勝寺橋に出ます。お奨めの鎌倉の原風景の一つです。
15分
そして橋を渡り150mほど登っていったところに腹切りやぐら・東勝寺跡があります。

東勝寺跡

1333年(元弘3年)5月22日に新田義貞の鎌倉攻めにより屋敷を焼かれた北条高時が一族郎党をこの寺院に集め、堂に火をかけて一族郎党800人ともに自害したといわれています。ここが北条得宋家・鎌倉幕府の終焉の地です。

腹切りやぐら

「東勝寺旧蹟」とかかれた石碑の左手に「腹切りやぐら」があり、北条高時の墓と伝えられている石を積んだ塔が、建っています。また、この入り口付近に、「この付近は淨域につき参拝・供養以外立ち入を禁ずる」という立て札が、朽ちて立っています。鎌倉の人は暗くなってからはあまりこの付近には近寄らないようです。
7分

宝戒寺

小町大路に戻って鶴岡八幡宮前からの道と交差するところに宝戒寺があります。
鎌倉時代の執権であった北条氏の屋敷があったところといわれています。北条氏滅亡の後、北条高時の霊を慰めるために、後醍醐天皇が足利尊氏に命じて寺を建てさせ宝戒寺と名付けたといわれています。鎌倉の萩寺と呼ばれているように、9月の中旬くらいから、白い萩が咲き乱れ、また同時に、彼岸花も赤ではなく白いクリーム色の彼岸花も咲き乱れます。境内の本堂左手に2月に咲く梅も見事です。
8分

大蔵幕府跡

大蔵幕府跡の石碑

清泉小学校の西の角に大蔵幕府跡という石碑があります。これは、源頼朝屋敷跡で武家政治の中心だったところです。屋敷の四方に門があり、この付近は今でも西御門という地名が付いています。
5分

荏柄天神社

荏柄天神社は学問の神様として知られている菅原道真公を祀っています。
そのため、入学試験シーズンともなると合格を祈願する多くの学生さんや父兄の方で賑わいます。
2月の梅のシーズンになると境内で“鎌倉一”といわれる梅を見ることができます。
4分

鎌倉宮(大塔宮)

鎌倉宮(大塔宮)は、1869年(明治二年)明治天皇が創建した神社で、天皇自ら創建した神社は鎌倉宮だけです。祭神は後醍醐天皇の第三皇子で鎌倉幕府打倒に貢献し、建武の新政で征夷大将軍となった大塔宮護良親王です。地元の人々は、鎌倉宮というよりも大塔宮と呼んでいます。
9分



覚園寺

鎌倉宮の鳥居の前を左に600mほど谷戸に入ったつきあたりに覚園寺があります。
第9代執権北条貞時が元寇が起こらぬ事を祈って心慧上人を開山とした寺で、北条氏滅亡後は足利氏の祈願所として栄えました。藁葺きの薬師堂の天井の梁に尊氏自筆の銘が残っています。また、安置されている運慶作といわれている薬師如来は、鎌倉を代表する名仏で国の重要文化財に指定されています。
30分

浄妙寺

浄妙寺は鎌倉五山第五位の名刹。
初めは真言宗で東の極楽寺といわれていましたが、後に臨済宗に改められました。足利氏ゆかりの寺で、中興開基・足利貞氏が眠っています。
境内にある「喜泉庵」で抹茶をいただいて一休みというのもお勧めです。

竹の寺・報国寺

報国寺は鎌倉公方足利氏の菩提寺で、足利尊氏の祖父・家時が創建した寺。
本堂の裏手にある竹林が有名です。竹の寺と呼ばれています。
こちらでも抹茶をいただけます。

帰りはバス停「報国寺」から京急バスで鎌倉駅に向かいましょう。
バスで15分