鎌倉好き集まれ!春風裕さんの鎌倉リポート・第28号(2009年9月20日)
江ノ島から腰越散歩
藤沢の龍口寺
この日、北鎌倉の円覚寺から一気に江ノ島まで行き、腰越あたりをぶらぶらと散歩しました。江ノ島は藤沢市になりますが、腰越までは鎌倉市なのです。江ノ電の江ノ島駅まで行き、江ノ電に沿って腰越駅方面へ引き返し、海岸の道を江ノ島まで歩くコースを取りました。
まず訪れたのは、藤沢にある龍口寺(りゅうこうじ)です。このお寺は鎌倉に関わりの深いお寺なので、『かまくら子ども風土記』でも解説されているお寺です。仁王門の外左側にあるのが、日蓮上人法難刑場旧跡です。1271年に日蓮上人が処刑されかけた時に、江ノ島方面から玉のような光ったものが西の方へ光り渡り、闇夜が昼間のようになって、難を逃れた伝説がある場所なのです。
龍口寺には、五重塔があります。鎌倉のお寺では見かけない五重塔ですが、ここに建てられている五重塔は、明治時代に建てられたもので、ちょうど100年を迎えたところでした。龍口寺境内では、ちょうど骨董品を並べた露店が出ていて、骨董市のようでした。
まず訪れたのは、藤沢にある龍口寺(りゅうこうじ)です。このお寺は鎌倉に関わりの深いお寺なので、『かまくら子ども風土記』でも解説されているお寺です。仁王門の外左側にあるのが、日蓮上人法難刑場旧跡です。1271年に日蓮上人が処刑されかけた時に、江ノ島方面から玉のような光ったものが西の方へ光り渡り、闇夜が昼間のようになって、難を逃れた伝説がある場所なのです。
龍口寺には、五重塔があります。鎌倉のお寺では見かけない五重塔ですが、ここに建てられている五重塔は、明治時代に建てられたもので、ちょうど100年を迎えたところでした。龍口寺境内では、ちょうど骨董品を並べた露店が出ていて、骨董市のようでした。
江ノ電撮影スポット
江ノ電の腰越駅付近は、江ノ電の撮影スポットがあります。路面電車になっている部分では、少し待っていただけで、通過する江ノ電の写真を撮ることができます。狭い場所なので、写真は撮りにくいと思いますが、満福寺門前の踏切も江ノ電が通過する写真を撮ることができます。
源義経ゆかりの満福寺
源義経が平家を滅ぼし、鎌倉入りしようとして、源頼朝に拒まれ滞留したと言われている場所が、この満福寺です。源頼朝の怒りを解くために書いたのが、腰越状と言われていて、この満福寺にはその時の墨をするための水をくんだ池など、源義経や弁慶ゆかりの史蹟があります。
満福寺の山号は、「龍護山」(りゅうござん)ですが、さきほどの龍口寺と言い、この辺りは、龍の名前や伝説がある場所です。
満福寺の山号は、「龍護山」(りゅうござん)ですが、さきほどの龍口寺と言い、この辺りは、龍の名前や伝説がある場所です。
小動神社
満福寺を出て、海の方に歩き、車通りの多い海岸沿いの道を渡り、江ノ島方面に引き返した辺りに小動神社(こゆるぎじんじゃ)があります。腰越辺りの鎮守です。もともとは三神社と言われ、佐々木盛綱が景色のすばらしさなどに感激して、近江の八王子宮を移したのが始まりのようです。江ノ島の眺めが素晴らしい小さな展望台があります。
腰越辺りからの眺望
「腰越」と言う地名には、いろいろな説があるようです。そのうちのひとつが、昔はこのあたりは海で、それほど深くなく、干潮の時は背中に物を背負って越すことができたところで、「背負越場」と呼ばれていて、それで「腰越」になったというものです。伝説と言うと、五頭竜の伝説もあり、そのために「龍」と名前のつくところが多いのかも知れません。
いずれにしても、今は海の眺めがとても良い場所です。陽が沈む江ノ島奉免の景色も良いですし、東側の稲村ヶ崎や逗子方面の眺望もすばらしいと思います。海辺で育った僕としては、何だか懐かしい香りがする場所でもあります。
いずれにしても、今は海の眺めがとても良い場所です。陽が沈む江ノ島奉免の景色も良いですし、東側の稲村ヶ崎や逗子方面の眺望もすばらしいと思います。海辺で育った僕としては、何だか懐かしい香りがする場所でもあります。