鎌倉好き集まれ!十六夜さんの鎌倉リポート・第23号(2010年2月20日)

星野立子

立子は、俳人高浜虚子の次女で、明治三十六年(1903)東京に生まれた。鎌倉高等女学校(現鎌倉女学院)を経て、大正十三年(1924)に東京女子大学高等部を卒業した。翌十四年に星野天知の子息の吉人と結婚し、昭和六年に東京青山から鎌倉由比ガ浜に移住し、同十六年には笹目町に転居して、以後ここに住んだ。

立子の作風は大らかで柔らかな情感が、自然の諷詠にすなおな形で表現されるという傾向で、虚子の主唱する「花鳥諷詠」の忠実な実践者であった。

昭和五年に父のすすめで女流を主とした俳誌「玉藩」を創刊し、主宰した。同三十四年からは亡き父の跡を継いで、「朝日俳壇」の選者を続けた。

著書には、句集に「立子句集」、「句日記」、「玉藻俳話」、「俳小屋」、「一日一句」などがある。

「鎌倉文学碑めぐり(鎌倉文学館資料シリーズ)」より



高徳院境内の句碑

今回のリポートの句碑を巡り、ウォーキングを兼ねて、写真を撮りに出かけてきました。

大仏の西側に回り、椿の木に囲まれて、句碑がありました。碑高一・三メートル、幅約0・七メートルの碑で、裏面に「立子七十回誕生記念 玉藻会建碑 昭和四十八年十一月建立」と刻まれていました。


     大仏の冬日は山に移りけり 立子


  

  

妙法寺境内の句碑

総門を入り本堂の前を右にその先の仁王門から法華堂に至る石段の苔が美しい、この石段の右傍らに、句碑がありました。

碑高一メートル、幅約〇・六メートルの自然石で、裏面に「星野立子先生ハ  高浜虚子ノ次女ニシテ鎌倉笹目ニ住ス・・・・・訪レテ句会ヲ督セラル 依テ之ヲ建ツ 昭和五十八年六月吉祥日 松葉谷妙法寺四十四世日新」



    
     美しき苔石段に春惜しむ 立子 

寿福寺境内の句碑

亀谷山寿福寺金剛禅寺は臨済宗建長寺派で、正治二年(1200)創建で将軍家(源実朝)は再三この寿福寺へ参詣して、栄西や弟子の退耕行勇と法談した。

碑高約一・一メートル、幅約〇・二メートルの角柱状の黒御影石の碑で、正面に自筆の俳句、右側面に「紫雲院玉藻妙立大姉 昭和五十九年三月三日 星野立子 八十歳」。

左手で筆を取った晩年。逝ったのは三月三日雛まつりの日だった。


    雛飾りつつふと命惜しきかな 立子