鎌倉好き集まれ!十六夜さんの鎌倉リポート・第43号(2010年9月13日)

歩き疲れたら・・・ (1)

建武の新政

元弘三年(1333) 百五十年つづいた鎌倉幕府は滅亡した。後醍醐天皇は天皇親政を復活させて新しい政治をはじめた。建武の年号にちなんで「建武の新政」という。天皇は帰京後すぐに「記録所」と「恩賞方」をおき、「雑訴決断所」を設置して政治機構を整えた。また地方には国司と守護を併設して公武の両組織によって支配しようとした。

天皇は新政の理想を追いすべての土地所有の確認は天皇の綸旨(天皇の命令を直接的に伝える文書)によらなければならないとする法を定めたりした。新政権の土地政策は武士社会の慣習を無視したものが多かったので武士の反発をかい、幕府政治をのぞむ武士が多くなっていった。さらに、自由な官職の任免や家柄の無視などは公家を失望させた。また新政策のために増税を負担させられた農民からもおこった。

そのため建武政権は一年もたたないうちから破綻しはじめ、政権に対する抵抗が各地でみられるようになってきた。建武二年(1335)北条高時の子時行が反乱をおこした。(中先代の乱)足利尊氏はこの反乱をしずめるいう口実で、天皇の意志にそむいて鎌倉にくだり建武政権に対して反旗をひるがえした。

南北朝の内乱

関東から上洛した足利尊氏はいったん敗れて九州にくだったがすぐに再起して激戦の末、京都を占領し建武三年(1336) 光明天皇を立てた(北朝)。このため建武政権はわずか三年たらずで終わり、後醍醐天皇は大和の山中の吉野に逃れ朝廷を移した(南朝)。

尊氏は「建武式目」を制定して政治の基本方針を示し、暦応元年(1338) 征夷大将軍となり京都で幕府を開いた。以後ほぼ六十年にわたって吉野の南朝と京都の北朝が両立して激しい戦いがつづく南北朝の内乱がはじまった。

いつもバックに一冊

いつもバックに一冊本を持ち歩いています。今年のように暑い夏は必需品で、珈琲屋で一杯のコーヒーを飲みながらゆったりと過ごしました。

鶴岡八幡宮至近、宝戒寺門前前にある珈琲屋。オープン以来人気のメニューで、アイスコーヒーでのみ提供「ダッチコーヒー」水で抽出したコーヒーでした。