鎌倉好き集まれ!十六夜さんの鎌倉リポート・第72号(2011年3月29日)

樹々の芽吹きも

建長寺 三門前

芽のふくらみが認められるのは今頃でしょうか。芽に赤や緑の色が感じられればもう春です。四季のうちで、生きることの有難さを教えてくれる季節です。

春を感じると心もうきうきし、虫たちもはいだす。しかし、体が温度の変化になれるには時間が必要で体の調子がおかしくなることがあるようです。
建長寺が開創されて約四十年後の永仁元年(1293)四月、大地震に襲われて被災し、開山堂だけをのこして焼亡しました。この再興にはほぼ十五年かかりましたが、それも束の間、正和四年(1315)には鎌倉大火などによって多くの堂塔が炎につつまれました。「北条九代記」は「建長寺の塔など焼失おわんぬ」と記録しています。

この火災後に復興されたみごとな建長寺伽藍を描いたのが「建長寺指図」なのです。指図(さしず)とは、日本の古建築における諸建物の精密な平面図のことをいいます。原図は元弘元年(1331)に作成されました。

建長寺の総門を入ると三門・仏殿・法堂・方丈が一直線上にならび、総門と三門との左右には柏槙ごしに西浄と浴室がたち、三門と仏殿の間には廻廊に接して大規模な僧堂と庫院が相対しています。中国宋代の伽藍配置をよく伝えていることが分かります。 

法堂の背後は三門・仏殿などの大きな建物群とちがって、すっきりとした優雅な景観がひろがります。住持の住いである方丈は池に臨んで寝殿造のような建物であり、そのかたわらには二階建の得月楼が造られていて、日本的な風情と禅宗様とが加味されています。

このように、指図は建長寺が最も栄えた鎌倉末期の伽藍を詳しくつたえた唯一のもので、当時の建長寺の様子をいろいろと想察することができます。建長寺「指図」は宝物風入れにて公開されます。「建長寺たより(51)」より抜粋