鎌倉好き集まれ!JUNEさんの鎌倉リポート・第11号(2004年7月2日)

The mutability of life

妙本寺

ここは比企ケ谷。
昔方 比企一族の屋敷跡。

うっそうと杉林に囲まれた静かな境内。
苔むした石畳の参道を登ってゆく。
むせるような土の匂いに、
次第に息がきれてくる。
遂に意識が朦朧と・・・っとその瞬間、
裏手祗園山よりさぁーっと涼風が下りてきた。

なんというタイミングのよさ。
ふぅ~、やっと生きかえった・・・の心境。
鎌倉期、頼朝の跡を継ぎ第二代将軍となった頼家は、
幼少期に幕府の重臣(比企能員)の妻を乳母として育ち、
のち能員の娘(若狭局)を妻に迎え、
一幡という男子をもうける。

北条氏と、頼家含む比企氏との熾烈な主導権争いの後
比企一族は、北条時政率いる一軍に攻め葬られた。
火を放った屋敷の焼け跡からは、
僅か6歳の幼子(一幡)の
着物の袖だけが見つかったという。

苔の花

近くの幼稚園の子供たちの遠足。
海棠の木の下で輪になって
おにぎりをほおばる無邪気な笑顔が花開く。

しばらくして
「はないちもんめ」の遊び声が聞こえてきた。
思いきり両手を掴まれた少女、
みるみるうちに大きな瞳から涙がポロリ。

お友達が次々と近寄って来る。
「ごめんね」の声々で、あっという間の仲直り。

その昔、
女性をめぐり仲違いをしていた小林秀雄と中原中也が
この木の前で和解したというエピソードも。

海棠

静寂

壮大な木造建築の祖師堂。
山号の「長興」は能員の法号、
寺号の「妙本」は能員の妻の法号。

正面の階段に腰を下ろして一休み。
ぐるりと境内を見渡す。

比企一族の供養塔。
若狭局をまつる蛇苦止堂。
一幡の袖を埋めた袖塚。
其処に夫婦愛、家族愛の風情が漂う。

ふと見上げれば、
瓦屋根に優しく寄り添うように
合歓の花が風にそよいでいた。
二天門脇の凌霄花がちらほらと。
早くも盛夏を思わせる鮮やかな花色。
澄み渡る青空によく映える。

蔦が副木に絡みつき、天へと咲きのぼる姿は、
実にエネルギッシュで生きた芸術作品のよう。

多少の悲しいこと、辛いこと、困ったこと・・・、
全てを一旦リセットして、
もう一度真っ新からスタートできそうな気さえしてくる。

満つれば欠ける世のならい。
明日は明日の風が吹くさ。

凌霄花