

|
JUNEさんの鎌倉リポート No.43(2005年3月27日) |

|

|
|



大石燈篭が立ち並ぶ参道。 『南無高祖日蓮大菩薩』の幟が風に翻る。 彼岸過ぎ、久しぶりに安国論寺を訪れた。 山門脇の碑文によると、 建長5年(1253)、 千葉の小湊から鎌倉入りした日蓮上人が、 最初の庵をこの地に結び、 裏山の巌窟に篭って、 「立正安国論」一巻を書き上げた …とある。
|
 |

 草庵跡
|
|


 花桃
|
|
 |
桃の原産地は中国。 東晋の陶淵明作「桃花源記」にこんな伝説がある。 武陵の漁夫が、魚を捕りに渓流をさかのぼるうち、 桃林に迷い込んだ。 その里村は、太陽が輝き、桃の花びらが舞う仙境。 秦の国難を避けた者たちが、 世の変遷を知ることなく、平穏な生活を送っていた。 男は歓待されたのち、郷里へ戻るが、 知人はみな亡くなり、家は既に7代を経ていた…。
|


 ハナモモ
|
|
 |
桃の日本への渡来は古いとされるが、 万葉集に詠まれている桃の歌は、たったの7首。 梅の118首には到底及ばない。 けれども、 清楚な梅の花を、しっかりものの姉に例えるなら 華やいだ桃の花は、無邪気で天真爛漫な妹のよう。
|


 はなもも
|
|
 |
春の苑 紅にほふ 桃の花 下照る道に 出で立つをとめ →春の苑の夕暮れ、 桃の花が紅く映える道に出て立つ少女の姿よ。 これは、 大伴家持が奈良の都から越中に赴任したときの歌。 雅な都を偲びつつ、異郷暮らしの淋しさの中、 やっと訪れた北陸の遅い春。 この年、妻の坂上大嬢も都から下り、 待ちわびた二重の喜びを歌に託した。
|

本堂の右手に回ると、 日蓮の高弟日朗の荼毘所がある。 日蓮が佐渡へ流されるとき 光則寺裏山の土牢に幽閉された日朗。 自らの亡骸を荼毘に…と遺言に残したほど。 日朗にとって、 この場所こそが《理想郷》であるのかも。
|
 |

 荼毘所
|
|



|