鎌倉好き集まれ!KIさんの鎌倉リポート・第152号(2009年3月25日)
【レポーター3周年】とはずがたり de 鎌倉
明くれば鎌倉へ入るに,極楽寺といふ寺へ参りてみれば,
僧の振舞,都にたがはず,懐しくおぼえてみつつ,
化粧坂といふ山を越えて,鎌倉の方をみれば,
東山にて京を見るにはひき違へて,階などのやうに重々に,袋の中に物を入れたるやうに住まひたる,
あなものわびしとやうやう見えて,心とどまりぬべき心地もせず。
僧の振舞,都にたがはず,懐しくおぼえてみつつ,
化粧坂といふ山を越えて,鎌倉の方をみれば,
東山にて京を見るにはひき違へて,階などのやうに重々に,袋の中に物を入れたるやうに住まひたる,
あなものわびしとやうやう見えて,心とどまりぬべき心地もせず。
由比の浜といふところへ出でてみれば,大きなる鳥居あり。
若宮の御社はるかにみえ給へば,他の氏よりはとかや誓ひ給ふなるに,
契りありてこそさるべき家にと生まれけめに,いかなる報いならんと思ふほどに,
まことや父の生所を祈誓申したりし折, 「今生の果報に変ゆる」と承りしかば
恨み申すにてはなけれども,袖をひろげんをも嘆くべからず。(後略)
若宮の御社はるかにみえ給へば,他の氏よりはとかや誓ひ給ふなるに,
契りありてこそさるべき家にと生まれけめに,いかなる報いならんと思ふほどに,
まことや父の生所を祈誓申したりし折, 「今生の果報に変ゆる」と承りしかば
恨み申すにてはなけれども,袖をひろげんをも嘆くべからず。(後略)
まづ御社へ参りぬ。
所のさまは,男山の景色よりも,海見はるかしたるは見どころありともいひぬべし。
大名ども浄衣などにはあらで,いろいろの直垂にて参る,出づるも様変りたる。
所のさまは,男山の景色よりも,海見はるかしたるは見どころありともいひぬべし。
大名ども浄衣などにはあらで,いろいろの直垂にて参る,出づるも様変りたる。
かくて荏柄・二階堂・大御堂などいふところども拝みつつ,
大蔵の谷といふ所に小町殿とて将軍に候ふは,土御門の定実のゆかりなれば,
文遣はしたりしかば,「いと思ひ寄らず」といひつつ,「わがもとヘ」とてありしかども,
なかなかむつかしくて,近きほどに宿をとりて侍りしかば,
「たよりなくや」など,さまざまとぶらひおこせたるに,道のほどの苦しさもしばしいたはるほどに,
善光寺の先達に頼みたる人,四月の末つ方より大事に病み出だして,前後を知らず,
あさましとも言ふばかりなきほどに,少しおこたるにやと見ゆるほどに,わが身またうち臥しぬ。
大蔵の谷といふ所に小町殿とて将軍に候ふは,土御門の定実のゆかりなれば,
文遣はしたりしかば,「いと思ひ寄らず」といひつつ,「わがもとヘ」とてありしかども,
なかなかむつかしくて,近きほどに宿をとりて侍りしかば,
「たよりなくや」など,さまざまとぶらひおこせたるに,道のほどの苦しさもしばしいたはるほどに,
善光寺の先達に頼みたる人,四月の末つ方より大事に病み出だして,前後を知らず,
あさましとも言ふばかりなきほどに,少しおこたるにやと見ゆるほどに,わが身またうち臥しぬ。
また鎌倉の新八幡の放生会といふことあれば,
事の有様もゆかしくて,立ち出でて みれば,
将軍御出仕の有様,所につけてはこれもゆゆしげなり。
大名どもみな狩衣にて出仕したる,直垂着たる帯刀とやらんなど,思ひ思ひの姿ども珍しきに,
赤橋といふ所より将軍,車より降りさせおはします折,
公卿・殿上人少々御供したる有様ぞ,あまりにいやしげにも,ものわびしげにも侍りし。
(中略)
流鏑馬,いしいしのまつりごとの作法・有様は,見てもなにかはせんとおぼえしかば,帰り侍りにき。
事の有様もゆかしくて,立ち出でて みれば,
将軍御出仕の有様,所につけてはこれもゆゆしげなり。
大名どもみな狩衣にて出仕したる,直垂着たる帯刀とやらんなど,思ひ思ひの姿ども珍しきに,
赤橋といふ所より将軍,車より降りさせおはします折,
公卿・殿上人少々御供したる有様ぞ,あまりにいやしげにも,ものわびしげにも侍りし。
(中略)
流鏑馬,いしいしのまつりごとの作法・有様は,見てもなにかはせんとおぼえしかば,帰り侍りにき。
(解説)
今回はレポーター3周年企画の2回目ということで,前回レポートでも少しご紹介した「とはずがたり」の原文と写真のコラボレーションを試みました。
「とはずがたり」は1300年代初めに二条の尼によって執筆された自伝で,前半は平安京の女官として過ごした若い頃の話,後半は出家して,平安京から鎌倉へ,さらに信州などへの旅日記からなります。
今回のレポートでは,鎌倉のことをつぶさに記した「とはずがたり」四巻(抜粋)と,自分が過去に撮影した鎌倉の写真を思い思いに並べました。700年前の「とはずがたり」の記述と現在の鎌倉の写真が意外とマッチするものだなと正直,驚いています。なお,原文のはじめのほうにある「化粧坂」は,前後の記述から実は「極楽寺坂」の誤りではないかといわれています。
(年度末のごあいさつ)
さて,レポーターとして満3年になった区切りとして前回と今回のレポートをリリースしました。まだどうするか決めていないものの手直しを検討しています。4月以降,どのような形でこちらのレポートコーナーを運営していくかまだわかりませんが,今後ともよろしくお願い申し上げます。
2009年3月25日 KI
今回はレポーター3周年企画の2回目ということで,前回レポートでも少しご紹介した「とはずがたり」の原文と写真のコラボレーションを試みました。
「とはずがたり」は1300年代初めに二条の尼によって執筆された自伝で,前半は平安京の女官として過ごした若い頃の話,後半は出家して,平安京から鎌倉へ,さらに信州などへの旅日記からなります。
今回のレポートでは,鎌倉のことをつぶさに記した「とはずがたり」四巻(抜粋)と,自分が過去に撮影した鎌倉の写真を思い思いに並べました。700年前の「とはずがたり」の記述と現在の鎌倉の写真が意外とマッチするものだなと正直,驚いています。なお,原文のはじめのほうにある「化粧坂」は,前後の記述から実は「極楽寺坂」の誤りではないかといわれています。
(年度末のごあいさつ)
さて,レポーターとして満3年になった区切りとして前回と今回のレポートをリリースしました。まだどうするか決めていないものの手直しを検討しています。4月以降,どのような形でこちらのレポートコーナーを運営していくかまだわかりませんが,今後ともよろしくお願い申し上げます。
2009年3月25日 KI