鎌倉好き集まれ!KIさんの鎌倉リポート・第98号(2008年7月18日)

続々『湘南海岸,歩き旅』 ミーニシ編(その1:茅ヶ崎~二宮 +鎌倉)

6月28日,鎌倉海開きの安全祈願神事

皆さん,ご無沙汰しておりました。

6月28日に鎌倉が海開きを迎えてから早20日が経ちましたね。海開きしたてのころはまだまだ建設中だった海の家も,今は多くが開店営業し始めているのではないでしょうか。
 自分は海開きのレポートをアップした後,やれ七夕祭り, やれ行田の古代ハスにと関東平野を南北に横断。行田では炎天下の『さきたま古墳群』を無防備で歩き回ったおかげで,2日ほど夏バテで寝込む羽目になってしまいました。

さて,遅れに遅れていた,約束のシリーズレポート『湘南海岸,歩き旅第3弾ミーニシ編』(*),ようやく始動する運びとなりました。

今回はシリーズ第1回として,茅ヶ崎サザンビーチから二宮町の沿岸(+鎌倉の海)をリリースいたします。

茅ヶ崎サザンビーチから二宮町までを歩いたのは2007年の12月のこと。休日を利用して2回に分けて歩ききりましたので,茅ヶ崎から西へと順番に,当時撮った写真ともどもご紹介させていただきます。
                   
             *ミーニシ;沖縄方言で11月頃から2月頃までの晩秋・冬の北風吹きすさぶ時節をあらわすことば。

茅ヶ崎サザンビーチ

晴れ渡る冬空と茅ヶ崎サザンC(2007.12.23撮影)

すぐそばのマリンショップにて(2007.12.23撮影)

さて,まずは茅ヶ崎の海。

藤沢寄りの浜須賀海岸から相模川近い柳島海岸まで延々8キロほど。

特に季節を問わずサーファーやウィンドサーフィンで賑わう茅ヶ崎の海岸は,鎌倉や藤沢の海とともに今の湘南海岸のイメージを形造っています。

昨年の12月23日に訪れたサザンビーチは茅ヶ崎市沿岸のちょうど真中あたり。

サザンCのシンボルが朝日に映えていました。ここいらに集うマリンショップやハワイアンカフェが湘南の海を演出します。

茅ヶ崎のサザンビーチを後にして,茅ヶ崎漁港を経て西へと海岸を歩きました。

南湖から柳島までずっと続く,砂堤の遊歩道。平坦な砂浜の海岸線を左手に見下ろしながらずっとずっと歩き続けてゴルフ場と工場が見える相模川沿岸に至りました。

このあたり茅ヶ崎西部の海岸は,サザンビーチまでの東半分に比べると単調でやや寂しげな海岸風景が3キロばかり続きます。

平塚の海岸から相模河口へ

平塚の袖ヶ浜海岸にて(2007.12.23撮影)

相模川の河口西側(千石河岸)より江ノ島をのぞむ(2007.11.23撮影)

相模河口に至るともうここは平塚市の東の最果て(レポートNo.51『続湘南海岸,歩き旅若夏編その1-2007年6月22日-』参照 )。

相模川にかかる湘南大橋をコワゴワとわたって(実は高所恐怖症・・^^;),西岸へと至ります。

ここは平塚須賀の千石河岸。

釣人が集う,朝の砂浜をまっすぐ西へ進めば,平塚市の湘南海岸公園がある袖ヶ浜海岸です。

湘南の風物詩,サーファーも大勢いますね~。

どこまで~も平坦な平塚の砂浜。 足どりもまた,距離の割には平坦に進みます。

さて,この日はこのまま平塚市の西の端,花水川を経て,ついに平塚沿岸を全域制覇しました(2007年12月23日)。

大磯の海に湘南の最果てを見る?

大磯海水浴場の高架下には様々なウォールペイントが(2007.12.23撮影)

高架と海岸の風景がずっと続きます(大磯町小磯付近にて2007.12.24撮影)

平塚の海岸を制覇したその足で大磯町へと入っていきます。

平塚の海岸と同じく,平坦な砂浜と釣人の風景がしばらく続くと思ったら・・・

大磯町に入って0.5キロほどで,見慣れない代物が突然目の前にせりよって来ました。

高架道路

茅ヶ崎・平塚までは海岸とは少し距離を置いていた国道1号線ですが,巨大な高架に化けて大磯海水浴場に覆いかぶさるようにすぐ後ろを通り抜けているのです。
 ちなみにここ大磯から小田原までずっと続く高架道路の海岸風景。今まで見てきた鎌倉~平塚の海岸とはかなり趣きが異なった空間を形造っています。
 大磯海水浴場から堤防を越えて少し西へ進めば,漁港と巨大な工事現場。湘南ももはやここまで?

海岸に迫る高架に描かれたウォールペイントをバックに海水浴場に集うサーファーの一群

大磯海水浴場に湘南の場末を見たような気がしました。

そして,正午過ぎ,大磯海水浴場を後にしてこの日の歩き旅は一旦終了となりました。

西湘の香り漂う,大磯町界隈

この浜をさらに西へと進みます(大磯ロングビーチ前にて2007.12.24撮影)

松並木が目立ってきます(2007.12.24撮影)

日付が変わって2007年12月24日,そうクリスマスイブの日に昨日の歩き旅の続き。

大磯海水浴場から西へと砂浜を歩きました。晴れていましたが,人影の殆どない風の強い日でした。

高架道路がすぐそばを駆け抜ける大磯の海岸。サーファーが波と戯れる江ノ電沿線や茅ヶ崎サザンの海に感じる賑やかな湘南的風景とはまったく異なる静かな海だけど,大磯の内陸の様子はどんなだろう・・・

ロングビーチあたりで,『海岸修復工事につき立入禁止』の柵に出くわし,これ以上,砂浜沿いに歩き進むことができなくなったこともあって,大磯プリンスホテルから内陸へと迂回しました。

延々と続く松並木,徳川家などの旧邸跡,古めかしい「なまこ壁」の倉庫,陸からもしっかり見える高架道路

『湘南』というよりは『東海道』という印象を受けたというのが,自分の正直な感想です。

「ここ大磯町が湘南の名前が発祥した地なのですが,今や江ノ島あたりが湘南の本場になっているようで,100年前に比べると湘南の中心はかなり東へとシフトしている感じですね」

そのように町の観光案内所で教えていただきました。ちなみに湘南の風物詩のひとつであるサーファーの姿は平塚に程近い大磯海水浴場までは見られるものの,それより西では殆ど見られないらしいとのこと。

自分が見た感じでも,陸海ともに現代の湘南のイメージを担う藤沢や鎌倉とはにだいぶ環境や雰囲気が異なっていました。

かつての東海道の名残をとどめる,松並木の道路をそのまま西へと歩いて昨日の平塚制覇に続いて大磯町の沿岸もとりあえず歩き切り(2007年12月24日達成),お隣の二宮町へと至ります。

そして,二宮町

境界を越えて,二宮町に入ったのは12月24日のお昼前。

「獲れたてミカン,一袋50円」といったような表示が店先に目に付くようになります。ミカン,多いですよ。

ここ二宮町には袖ヶ浦海岸という海岸があります(正確には,夏まではあった)が,あいにく立入禁止。2007年9月7日,台風9号が東日本に来襲し,相模湾岸の砂浜は高波に削られて甚大な被害を受けました。こと二宮町に至ってはすべての海岸が台風で消滅し,自分が訪れた当日も海辺を歩きたくても歩けない状況だったというわけです。
 台風前には,大磯海水浴場と同じように高架下に海岸があったとのこと。

袖ヶ浦公園の巨大な松に西湘バイパスの高架道路

沿岸に程近い道を歩いて感じる風は,大磯町で感じたものとほぼ同じ。年が明けてから訪れた小田原や国府津の沿岸地域と大変よく似ていました。

やはり東海道・・・

午後1時半,小田原かまぼこが入った温かいそばの昼食をとった後,二宮町名産の甘酸っぱいミカンを一袋買って,JR二宮駅から藤沢駅へと戻ったのでありました。

はい,これで二宮町の東3分の1を西湘バイパス沿いに歩ききりました。

湘南の西エリアを歩ききって・・・

朝焼けの稲村ガ崎(2007.12.29撮影)

岩肌に大波砕ける稲村ガ崎より(2007.12.29撮影)

2007年12月23日と24日にかけて,茅ヶ崎サザンビーチから二宮町の袖ヶ浦まで約18キロをそれほど苦労せずにすんなりと歩きました。
 なお,そこに至るまでの,鎌倉の海から藤沢・茅ヶ崎の海の様子は以前にリリースした,以下のレポート群を見ていただければ幸いです。

・レポート No.42(2007年4月18日);「春の湘南ビーチ ~辻堂海岸から腰越海岸・逗子マリーナ」
・レポート No.51(2007年6月22日);「続『湘南海岸,歩き旅』若夏編(その1:平塚~腰越海岸・江ノ島)」
・レポート No.91(2008年5月18日);「湘南鎌倉デスクワークPARTII  ~本と鎌倉レポート原稿かかえて,湘南海岸を西へ」

今回レポートの海岸歩き旅により,鎌倉の海より西エリアでは,湘南藤沢・茅ヶ崎からずっと西の海へと,いわゆる「西湘」と呼ばれる付近まで,自分の足でたどったのではと思います。
 江ノ島の西側(片瀬西浜)から大磯までの海岸は,とにかく平坦な砂浜がずっと続きます。稲村ガ崎に小動岬にと巨大な岩山がところどころ大胆にせり出す鎌倉の砂浜に比べれば,大小の河川に時々,行く手を阻まれる以外は砂と小石の海岸をスラスラと歩き進めてしまう次第。
 西行く歩みをしばし止めて振り返ってみれば,きれいな弓なりの海岸線の向こうから江ノ島がいつも見守ってくれているのに気付くでしょう(大磯海水浴場を過ぎると見えません)。
 江ノ島を挟む湘南の西半分に当たるこのエリアは,相模平野のなだらかな堆積盆地が基盤となっているのに対し,鎌倉市は三浦丘陵西端の岩盤がさしかかって天然の要害や独特の谷戸景観を成しているのです。同じ湘南でも,鎌倉エリアと藤沢~平塚エリアは地理的な地盤が異なっているわけですね。

ところで,この歩き旅で直面したもうひとつの課題。

「どこまでが湘南でどこからが西湘なのか」

神奈川県が定める行政区分上は,藤沢市から二宮町までを「湘南地域」と小田原市以西を「西湘地域」と扱っています。しかしながら,実のところはその境界はかなりファジーであることは昨年のレポート(No.50)でも少し述べたとおりです。
 自分個人の見解を述べれば,「江ノ島周辺=典型的な湘南」という基準であれば,湘南といえるのは大磯海水浴場(大磯町東端)が西の限界ではないかなと湘南海岸歩き旅を通じて感じています。
 そう判断した具体的な‘ものさし’として,まず挙がるのは,「サーファー(マリンスポーツ)の出現が頻繁か」,「江ノ島が見えるかどうか」,「海岸の全体的な景観」の3ポイントです。最初の2つの条件を満たすのは,大磯海水浴場あたりが西の限界のようです。そして,大磯海水浴場から始まる「高架道路の海岸」という景観は西湘地域の海岸風景と共通のものです。また,海岸を離れた街中の様子についても,大磯・二宮の界隈が鎌倉~平塚あたりとは異趣だったのは先述のとおりです。
 
さらに後日の調査で意外なものが西湘と湘南の区別に一役果たすかもしれないことがわかってきました。

それは,ミカンです。

神奈川県内では,小田原市・真鶴町・湯河原町をはじめ西湘地域で非常に生産高が大きいため,神奈川県がミカン生産地としての定評を得るに至っているほどです。
 その西湘地域の名産品であるミカン(温州ミカン)ですが,二宮町・大磯町そして平塚市北西部の一部でも農作物としてよく栽培されているそうです。神奈川県南西部に広がる大磯丘陵の土斜面を利用して果樹園が営まれているため,茅ヶ崎・藤沢・鎌倉といったいわゆる湘南エリアの中核地域ではほとんど産業栽培されていないとのことです(以上,JA神奈川に確認)。
 海岸とは直接関係ないけれども,ミカンの分布によっても湘南と西湘の境界にひとつの答えを与えることができそうだと思った次第です。「西湘=ミカンがよく獲れる」,「湘南=ミカンが獲れない」という基準を用いてみると,今回レポートで歩いた市町を,もちろん大雑把ではありますが,以下のように分類できますがいかがでしょうか。

西湘=二宮町・大磯町・平塚市の北西部分(内陸部)
湘南=平塚市(北西の内陸部以外)・茅ヶ崎市以東

自分の湘南海岸歩き旅からの見解と,このミカン栽培の有無からの判断法を合わせてみると,湘南の西の限界はやはり大磯町あたりにありそうですね。

・・・といってもこれはあくまで自分の個人的な解釈であって,他にも様々な解釈方法があると思います。

さて,次回は鎌倉から東のエリア,三浦半島の相模湾岸の歩き旅についてレポート紹介したいと思います。

                   2008年7月18日 K.I.