鎌倉好き集まれ!りんしゅうさんの鎌倉リポート・第5号(2005年5月16日)
大蔵稲荷
雪ノ下の金沢街道ぞいにあった某有名菓子店(最近閉店してしまった)のあるビルの脇道に入り、滑川を越えて山腹の階段を登っていったところにある神社。
「吾妻鏡」の弘長元年(1261)5月の項に
「鎌倉に於て、密に大倉稲荷社に会合するものあり、夜行番これを発見して逮捕せんとせしも、遁れて行くところを知らず。」
と出てくる大倉稲荷社は当社のことではないかとされている。
他にも浄妙寺の東の稲荷(鎌足稲荷のこと)だとか、西御門内にあった稲荷(今はない)という説もある。
社殿のまわりは画像の鞘堂のようなもので囲まれています。
やはり管理がたいへんなんでしょうね。
「吾妻鏡」の弘長元年(1261)5月の項に
「鎌倉に於て、密に大倉稲荷社に会合するものあり、夜行番これを発見して逮捕せんとせしも、遁れて行くところを知らず。」
と出てくる大倉稲荷社は当社のことではないかとされている。
他にも浄妙寺の東の稲荷(鎌足稲荷のこと)だとか、西御門内にあった稲荷(今はない)という説もある。
社殿のまわりは画像の鞘堂のようなもので囲まれています。
やはり管理がたいへんなんでしょうね。
岩窟ってほどのものでもないですが・・・
下には割れた陶製のお稲荷さんや燈明皿らしきものが散らばってました。
下には割れた陶製のお稲荷さんや燈明皿らしきものが散らばってました。
社殿脇から階段が山上に続いています。
けっこう厳しい山道です。
稲荷社のある山は「小富士」と呼ばれています。
かつて山頂に「浅間稲荷」という富士山を祭神とした祠があったため名づけられました。
祠の跡でも残っていないかと山頂あたりを探してみましたが、草が多くて荒れ気味でダメでした。
どなたか見つけられた方がおられましたら教えてください。
この道はやがて東勝寺跡からの道に合流し、祇園山ハイキングコースに通じます。
けっこう厳しい山道です。
稲荷社のある山は「小富士」と呼ばれています。
かつて山頂に「浅間稲荷」という富士山を祭神とした祠があったため名づけられました。
祠の跡でも残っていないかと山頂あたりを探してみましたが、草が多くて荒れ気味でダメでした。
どなたか見つけられた方がおられましたら教えてください。
この道はやがて東勝寺跡からの道に合流し、祇園山ハイキングコースに通じます。
稲荷社に登る階段脇に2つの穴がありました。
「やぐらかな?」とちょっと恐々のぞいてみたら、つくりがかなり近代的。
戦争中の防空壕かもしれません。
ちょっと前、防空壕関連で悲しい事件がありましたから、
近いうちにこの穴も閉鎖されるかもしれませんね。
「やぐらかな?」とちょっと恐々のぞいてみたら、つくりがかなり近代的。
戦争中の防空壕かもしれません。
ちょっと前、防空壕関連で悲しい事件がありましたから、
近いうちにこの穴も閉鎖されるかもしれませんね。