鎌倉好き集まれ!与太郎さんの鎌倉リポート・第3号(2004年9月4日)

太刀洗水

梶原景時館跡

十二所の朝比奈切通しの近くに梶原太刀洗水という湧き水があります。
その昔、梶原景時が人を切った刀をそこで洗ったという謂れがあるところです。
左の写真は、十二所からは少し西方にある、五大堂明王院裏手の梶原景時館跡と云われているところですが、現在は何もなく何かの作業場になっています。

上総介広常館跡?

殺されたのは、上総介広常。
頼朝が石橋山で敗れて安房に逃れ、勢力を回復させながら鎌倉に向かう途中、隅田川付近で合流した武将です。頼朝はその広常が邪魔になったのでしょう。
このとき討手として選ばれたのが梶原景時。
左の写真は、多分この辺に上総介広常の館があったのだろうと与太郎さんが勝手に思っている所。朝比奈切通しの入り口から右の方に少し入ったところです。

梶原太刀洗水

これが鎌倉の名水の1つ、梶原太刀洗水。
案内板がとても小さく、水量もそれほど多くはなく、見落としてしまいそう。
1183年(寿永2年)12月。梶原景時は上総介広常の屋敷を訪れ、双六遊びに興じている隙を狙って広常を切り殺し、そのとき血まみれになった刀をここで洗ったと云われています。

朝比奈切通し

この切通しができたのは、1241年(仁治2年)だそうで、この事件当時は、この切通しはありませんでした。
鎌倉時代を思わせる細い山道で、この先を歩いていくと環状4号線(原宿六浦線)にでます。

上総介広常の墓

朝比奈切通しを抜けると横浜市金沢区。環状4号線(原宿六浦線)の脇の目立たないところにひっそりと上総介広常の墓があります。
鎌倉では、いろいろな抹殺や粛清が行われましたが、上総介広常の事件はその最初といえるものでしょう。