鎌倉好き集まれ!鎌倉ほいほいさんの鎌倉リポート・第66号(2011年7月21日)

◇ザ・御朱印 鎌倉二十四地蔵尊巡り◇

◇第1番(発願)から第4番◇

 野暮用のためこの2週間、鎌倉へ行くことができません。あぁぁ~残念だぁ!でまたまた、御朱印をお贈りする訳です。と書きながら、あ~今頃八幡宮の蓮は・・・妙法寺のノウゼンカズラは・・・材木海岸は・・・江ノ電に乗ってぇ・・・等々思ってしまうものです。早く行きたいなぁ・・・・・・・
 で今回は、鎌倉二十四地蔵尊です。


第1番:寶戒寺・・・子育経読地蔵尊
「宝戒寺門前で子供が生まれそうになったとき、子どもをとりあげる世話をしてくれた見知らぬお坊さんが地蔵の化身だった」とか、「毎晩夜中に聞こえる読経がお地蔵さまではないか」という伝説の地蔵
第2番:来迎寺・・・岩上地蔵尊
第3番:覚園寺・・・黒地蔵尊 
「地獄の番人に代わって火を焚き、罪人の苦しみを和らげたという伝説の地蔵」
第4番:杉本寺・・・身代地蔵尊 
「杉本太郎義宗に放たれた矢が地蔵に当たり、傷跡から血がにじみ出たという伝説の地蔵」

◇第5番から第8番◇

第5番:光触寺・・・塩嘗地蔵尊 
「朝比奈峠を越えてやってきた塩売りが、お地蔵さんに塩を供えておいたところ、帰りには塩がなくなっていた。塩を嘗めてしまったという伝説の地蔵」
第6番:杉本寺・・・尼将軍地蔵尊 
「尼将軍とは北条政子のことと思われるが詳細不明」
第7番:瑞泉寺・・・どこも苦地蔵尊 
「お地蔵さまにお供えをしていた貧しい僧が、ある日、苦しさのあまりどこかへ移り住んでしまった。すると、夢の中に地蔵が現れ、「どこも同じじゃ~、どこも苦しいのは同じじゃ~」といった」
第8番:閻魔堂(円応寺)・・・詑言地蔵尊 
「詫言地蔵にお願いすれば、本人に代わって閻魔大王にお詫びしてくれ、閻魔大王のお許しを得ることができるという伝説の地蔵」

◇第9番から第12番◇

第9番:伽藍陀山(建長寺)・・・心平地蔵尊 
第10番:建長寺・・・済田地蔵尊 
「昔、斎田左衛門という者が無実の罪で切られそうになったが、斎田は地蔵を信仰し、髪の中に小さな地蔵像を納めていたため、刀が折れて斎田を切ることができなかったという。深い信仰のために許された斎田は、この像を心平寺の地蔵の頭の中に納めた。その後、建長寺が建てられ本尊地蔵の胎内に移されたらしい
第11番:勝上岳(建長寺)・・・勝上岳地蔵尊 
「半僧坊にある地蔵堂に安置されています」
第12番:浄智寺・・・聖比丘地蔵

◇第13番から第16番◇

第13番:正続院(円覚寺)・・・手引地蔵尊
「無学祖元の塔頭正続院のお地蔵さま」
第14番:円覚寺・・・南無延命地蔵尊
「北条時宗の廟所佛日庵のお地蔵さま」
第15番:海蔵寺口(海蔵寺)・・・南無岩船地蔵尊 
「源頼朝の長女大姫の守り本尊と伝えられる。大姫は、木曽義高との悲恋に死んだ。義高は父木曽義仲の人質として鎌倉に送られ、大姫の婿となったが、頼朝は義仲を討つと義高まで殺害した。大姫6歳のときの出来事だと伝えられている」
第16番:浄光明寺・・・南無網引地蔵尊 
「由比ヶ浜で漁夫の網にかかって引き上げられたという伝説の地蔵」

◇第17番から第20番◇

第17番:浄光明寺・・・矢拾地蔵尊 
「足利直義の守り本尊。中先代の乱の折、直義の矢が尽きてしまった。その時、子どもの僧が矢を拾い集めてきてくれた。この子どもの僧は、直義が日頃信心していた地蔵菩薩であったという」
第18番:寿福寺・・・木造地蔵菩薩立像
第19番:東漸寺・・・日金地蔵 
「源頼朝が伊豆日金山の地蔵菩薩に源氏再興を祈願し、願いが叶った後、その像を模して造られたと伝わる(現在の像はその後作り直されたもの。)。もともとは鎌倉の松源寺(廃寺:雪の下の窟不動付近にあった。)の本尊。神仏分離令によって長谷寺に移され、後に東漸寺に移された」
第20番:極楽寺・・・導き地蔵
「この地蔵の視野の中にはいる場所では、子どもたちに災難が起きないという。」

◇第21番から第23番◇

第21番:阿仏屋舗(極楽寺)・・・月影地蔵昔
「月影ヶ谷にあったお地蔵さま」
第22番:光明寺・・・延命地蔵(網引延命地蔵) 
「光明寺裏山のやぐらにあったお地蔵さま」
第23番:延命寺・・・身代地蔵(裸地蔵)
「運慶作と伝わる地蔵は、「生きている仏に会いたい」という信仰から裸の姿をしている。ある日、北条時頼夫妻が「負けた方が裸になる」という賭けをして双六をしていた。負けそうになった夫人が地蔵菩薩に念じたところ、裸の地蔵菩薩が双六盤の上に現れ、夫人の身代わりになったという。」

◇第24番(結願)と番外◇

第24番:安養院・・・日限地蔵(子安地蔵) 
「決めた日数のうちにお参りすると、ご利益があるという。」
番外:明王院・・・叶地蔵尊