鎌倉三十三観音12〜22番札所

十二番札所・教恩寺

聖観世音

大町の住宅街に佇む教恩寺。戦国時代に、後北条氏全盛をもたらした北条氏康が材木座の光明寺境内に創建したのが始まりで、1678年(延宝6年)に当地に移されました。本尊は鎌倉時代初期に造られた阿弥陀三尊像で、平清盛の子、重衡に頼朝が一族の冥福を祈るようにと与えた運慶作のものだといわれています。聖観世音も本堂内に祀られています。

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十三番札所・別願寺

魚藍観世音

別願寺は1287年(弘安5年)、公忍上人(後に覚阿)が真言宗能成寺を時宗に帰依し、別願寺としてつくられました。室町時代には足利一族が深く信仰し、足利持氏の供養塔があり、鎌倉公方の菩提寺として大いに栄えたという格式ある歴史をもっています。三十三観音のうち、唯一の魚藍観音菩薩は本尊の阿弥陀如来とともに本堂に祀られています。

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十四番札所・来迎寺(材木座)

聖観世音

材木座の来迎寺は1194年、源頼朝が鎌倉幕府の礎石となった三浦大介義明の霊を弔うため、真言宗能蔵寺を建立したのがはじまりのお寺です。本尊は義明の守護仏とされる阿弥陀三尊立像です。札所本尊の聖観世音さまも一緒に本堂に祀られています。また本堂前のミモザの若木が生長し、2月下旬から3月上旬には美しく黄色に染まる風景に出会えます。

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十五番札所・向福寺

聖観世音

向福寺は1282年一向俊聖上人によって開山されました。本堂と表門は関東大震災で全壊してしまい、昭和初期に建て直されました。本尊は阿弥陀如来、観音菩薩、勢至菩薩からなる阿弥陀三尊です。札所本尊の聖観世音菩薩は中尊の阿弥陀如来像の左側に控える観音菩薩像です。普段本堂は閉まっていますが、参拝を申し出ると開けてくださいます。

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十六番札所・九品寺

聖観世音

九品寺は新田義貞が鎌倉攻めをしたときの本陣をかまえた場所で、犠牲者を弔うために、1336年(建武3年)義貞が建てたと言われています。山門と本堂に掲げられている額の「内裏山」と「九品寺」の文字は、義貞の筆の写しと伝えられ、直筆と伝えられる額は本堂に保存されています。ご本尊は阿弥陀三尊で、阿弥陀如来の左脇侍である観音菩薩が札所本尊です。

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十七番札所・補陀洛寺

十一面観世音

真言宗大覚寺派の寺院である補陀洛寺。「ふだらくじ」と読みます。源頼朝の祈願所として1181年(養和元年)に文覚上人により開山されました。十一面観音は阿修羅道の衆生を摂化する六観音のうちの一つで、補陀洛寺の本尊でもあります。また薬師三尊、地蔵菩薩、弘法大師、愛染明王、不動明王、千手観音、毘沙門天など小さなお堂にたくさんの仏像が並んでいます。

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十八番札所・光明寺

如意輪観世音

光明寺は正式には天照山蓮華院光明寺といい、浄土宗の大本山です。創立は1243年(寛元元年)といわれ、浄土宗三祖然阿良忠上人が開山しました。鎌倉随一の広さを誇る本堂に祀られている本尊は阿弥陀如来ですが、札所本尊は如意輪観世音で、人々を苦悩から救いあらゆる願いを叶えるとされています。本堂の左脇壇に祀られており、間近で拝むことができます。

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十九番札所・蓮乗院

十一面観世音

蓮乗院は元々蓮乗寺という真言宗の寺でしたが、光明寺が移転して以後、蓮乗院として光明寺の支院となりました。光明寺落成までの間、然阿良忠が滞在したことから、光明寺の新住職は、今もいったんこの寺に入ってから入山するという慣例が残っているほど、由緒のあるお寺です。本尊は阿弥陀三尊で札所本尊の十一面観世音はその手前に祀られています。

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二十番札所・千手院

千手観音

千手院は、光明寺が大檀林(仏教学問の最高学府)として栄えていたころ光明寺の僧坊として存在していたといわれていますが関東大震災でお寺の史料の多くが焼失し開山や開基についてはよくわかっていません。山号は光明寺と同じ「天照山」と付けられています。本堂には阿弥陀如来像と千手観音像が祀られます。御朱印は庫裡にていただけます。

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二十一番札所・成就院

聖観世音

1219年、鎌倉幕府3代執権北条泰時が成就院を建立。 1333年新田義貞の鎌倉攻めで焼失し西ヶ谷に移りましたが1688年に元の地に再建されました。境内に祀られた本尊不動明王の御分身の不動明王像は縁結びのパワースポットとして有名です。札所本尊の聖観世音像は本尊と一緒に本堂に祀られていますが普段は公開していません。山門の階段から相模湾が見渡せます。

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二十二番札所・極楽寺

如意輪観音

極楽寺の古絵図を見ると、往時の境内には施薬院、療病院、薬湯寮などの施設があり、医療・福祉施設としての役割も果たしていました。最盛期は七堂伽藍を備え、大小49の支院があったとされ、とても大きなお寺でしたが、度重なる火災、災害により焼失と復興を繰り返して現在に至っています。現在の本堂は参道の突き当たりにありますが、如意輪観音が祀られているのは参道の途中、右手にひっそりと立っている観音堂です。

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